●ここひと月くらいで描いた最新作のドローイングから15点を選んで、それを持ってA-things(http://www.a-things.com/index.html)へ行く。作品をスタッフの林さんに観てもらい、そのままA-thingsに置いてきた。これも14日からはじまるドローイング展示(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/a-things.html)の一部となる予定。
●今年にはいってから、実質的にはドローイングばかり描いているような感じで、で、それはドローイングの展開にそれなりに手応えがあるからで、決して、タブローに対して副次的な仕事というわけではない。ここ何年かは、自分の個展でタブローと同時にドローイングも展示してきたので、ぼくのドローイングがだいたいどういうものかを知っている人もいると思うのだけど、そういう人にも、多分、今までのドローイングとは違うという風に感じてもらえるのではないかと思う。
自分でも、最初に、紙に墨汁による「線」だけのドローイングをやりはじめた時には(最初は、便箋に筆ペンでやっていたのだけど)、「線」だけで、これだけのことが出来るとは思っていなかった。前にも何度か書いたけど、いままでの僕の作品には、線という要素は、まったくなかったわけではないが、決して重要な要素としてあったわけではない。大げさに言えば、ぼくはこの半年くらいで(ようやく)はじめて、絵画における「線」というものの意味を発見したとさえ言える。
今やっているドローイングは、「線」という要素だけで出来上がっているのだけど、ここで発見された「線」というものが、今後ぼくの描くタブローにどのように影響するのか、ここで発見されたものがどのように生かされるのかは、自分でもまだよくわからない。(こういうことは、実際にやってみないと、描いてみないと分からない。)もしかしたら、ぼくのタブローは、「線」とは相容れないものだ、ということもあり得る。(タブローとドローイングは混じり合わないままで、それそれ別個に展開されるものなのかもしれない。)ただ、もし混じり合うのだとしたら、フォーブ時代のマティスのタブローがヒントになるのではないかという「感じ」は、なんとなく掴んでいる。
●展示では、出来るだけ多くの作品を見せたいと思っているのだけど、(これもドローイングを描きつつ実感として思ったことなのだけど)「線」は、「色彩」や「形態」以上に、互いに干渉し合うことによって意味をもつ(生きたり死んだりする)という度合いが強いので、作品のフレーム(作品というひとつの「まとまり」や「秩序」)を超えて干渉が起こりやすいのではないかと思う。ぼくは常々、展示によって良し悪しが左右されるような作品では駄目なのだ、と言っているのだけど、ドローイングの場合、展示の時にタブロー以上に、作品同士の干渉に気を使う必要があるようにも思う。(不用意に並べると意味を打ち消し合ってしまう。)線というのは非常にデリケートなもので、それに比べると色彩は随分と鷹揚であるように、最近のドローイングの仕事をしつつ思う。今のなんとなくの目標のひとつに、色彩と同じくらいに鷹揚な線がひきたい、というのがある。