●清澄のSHUGOARTS(http://www.shugoarts.com/jp/index.html)で、「小林正人初期作品1982-1992」を観た。小林正人のこの頃の作品は、難しい理屈を言う前に、ごく普通の絵として、今改めて観ても、普通に凄く良い。普通の絵というのは、キャンバスというフレームの内部を大きな広がりをもつ空間にして、それを「光」を受け入れる(捕獲する)容器=装置とする、というような意味だ。キャンバスの内部に大きな広がりが実現されていて、そこから光が溢れている、というただそれだけのことなのだが、その、普通の絵というのがどれだけ希少で困難かということは、例えば今、竹橋の近代美術館でやっている「モダンパラダイス」という展覧会に展示されている(常設も含めた)作品で、普通に良い普通の絵がほとんど見当たらない(特に日本の近代、現代絵画において)ということからも分る。正直、現在の、サイトスペシフィックな感じが濃厚になってきた小林正人の作品は、ぼくには悪い罠にはまっているように思えるのだが、90年代前半くらいまでは、新作が発表されるたびに強いショックを受けたものだった。
出来上がったキャンバスの上に絵の具をのせるのでは、キャンバスと絵の具という二つの層に分離してしまうから駄目で、絵画を「純粋な単体」としてたちあげるためには、木枠を組み、キャンバスを張ることと、画布にイメージを(直接手で)描いてゆくことを同時に行い、モノとしてのキャンバスが出来上がるのと、絵が完成するのとが「同時」でなければならない、というような小林正人独自の「コンセプト」は、小林正人の作品の良さそのものとは、実はあまり関係がないと思う。そのようなコンセプトは、絵画を「純粋な単体」(これは、一個の大理石から一個の像を掘り出す古典的な彫刻が想定された言葉だ)としてたちあげるどころか、物質的な次元で解体してしまうという結果を招き、作品は、壁にかけることも、移動させることも困難になって、結果、サイトスペシフィックなものとならざるを得なくなる。木枠が歪み、画布がたわんだギャンバスに塗り込められた粘度の高い絵の具の表情は、その物質としての側面が強調されることで、絵画から光を失わせ、しかし、ごく初期からの小林正人の特権的なモチーフだった「人体」そのものの「肉」の感触に近づかせることになる。作品が、絵画として成立するか、物質として解体してしまうかのギリギリのところにあった90年代中頃の作品は、その独自の肉的な感触もあいまって、高度な緊張感がみなぎっていたのだが、そこにあった物質性(肉)と絵画性(光と空間)との矛盾による緊張が、サイトスペシフィックな作品となることで「解決」してしまった後は、たんに表現主義的な作品へと後退してしまったように、ぼくには思われる。
今回展示されている92年以前の作品は、物質的なものが強調される傾向になってゆく以前の、もっぱら絵画を、光を集め、捕獲する器のようなものとして捉えていた頃の作品だ。ここでは絵画はあくまで光を集める装置として捉えられているため、その空間は決して複雑なものではないのだが、だからこそそのなかに(イメージを描く=表象するのではなく)「モノを出現させる」ことが可能になっている。空間を出現させ、そこに光をあつめ、その光の粒子の流れによってモノが出現する。それらは同時に起こっているのであって、小林正人の言う「純粋な単体としての絵画」とはおそらくそのようなことであるはずで、なにも字義通りに木枠や画布からつくりはじめる必要はないと思う。(このような「純粋な単体としての絵画」という考え方は、ぼく自身が考えている「常に時間のズレをつくり出すような絵画」とはまったく異なるのだけど。でも、小林正人の絵でも、ちゃんと観ると、実は複数の層があり、ズレがあったりもするのだけど。)
82-92年となっているけど、ほとんどの作品が89-92年に制作されたもので、その他は、男女がセックスしている場面が描かれている82年頃の初期作品2点と、「画家とモデル」と題された、まさに(小林正人風に)画家とモデルという古典的なモチーフが描かれた86年の作品(ぼくはこの作品ははじめて観たし、このような作品があることは知らなかった)くらいだ。それにしても、92年の「絵画の子」は本当に良い作品で、改めて観て、こんなに良かったのか、と驚いたのだった。しかしこの作品は「売れて」しまっていて、どこかの美術館が買ったのならいいのだけど、もし個人のコレクターに買われてしまったとしたら、今後この作品を観られる機会は(小林正人の大規模な展覧会のために貸し出される、とかでなければ)ほとんどなくなってしまうのが残念だ。現代作家の「良い作品」はほとんど美術館に買われることがなくて(美術館はたまに現代作家を買っても、必ずしも「良い作品」を買うとは限らないので)、現代作家の「良い作品」をちゃんと観るのは、(良い作家でも全ての作品が良いわけではないので)とても困難なのだった。(展覧会は16日まで。)