08/04/27

●今の時期、夜から朝にかわる時間は午前四時四十分みたいで、いつもこの時間になると、突然鳥が鳴きだす。
●『ブレードランナー』(リドリー・スコット)をDVDで。多分、十何年ぶりに観たと思うけど、こんな映画だっけ、というほど、ほとんど憶えていなかった。まあ、憶えてなくて当然、というくらいの映画なのだが。公開当時にすげーっと思ったセットというか美術というか特殊効果による未来風景は、そういうのこそが最初に古くさくなるわけで、なんかセンスのよくないところばかりが目についてしまった。これはごく普通のジャンル映画で、しかもきわめて凡庸な出来だと思う。
そもそもこの映画はディックの原作とはほとんど関係ない映画で、この映画のレプリカント(アンドロイド)は、ほぼ完全に人間としか思えなくて、ただ、特殊な立場に追いやられている人(あるいは、特殊な能力をもった犯罪者集団)でしかなくて、ディックの原作にあった、ほとんど人間にみえるのに、微妙なところでどうしても違うというような繊細なニュアンス(性的関係を持った後のリックとレイチェルの会話や、アンドロイドたちのイジドアに対する態度、蜘蛛の脚を切断するプリス等)がない。だから、完全に人間としての感情を持つとしか思えないレプリカントを(宇宙船を奪う段階で人を殺しているという理由はあるものの)平気で殺してしまうハリソン・フォードを受け入れることは困難だ。特に、最初に殺される女性のレプリカントは、何も悪いことしていないし、彼女がレプリカントであることを認定する検査さえ行われないうちに、ただベビの鱗が一致したという状況証拠ひとつで、逃げたからといっていきなり撃ち殺してしまうのは納得できない。凶暴な態度をとったわけではないんだから、まず逮捕して検査だろう、と普通は思う。そういう段取りがいい加減だとそれだけで作品に対する不信感がうまれる。それにハリソン・フォードは、一方でレプリカントであるレイチェルに同情し仲良くやっているのに、もう一方でプリスを殺すのに何の躊躇もないって、そりゃないだろうとも思う。さらに、あれだけレプリカントを殺しておいて、最後にレイチェルと一緒にどこかへ逃げようとか、そういう虫のいいことが何故平気で出来るのか。