●八丁堀で対談。実はこれは二度目で、一度目の時は、テープは回っているのに音が録音されていないという原因不明のアクシデントがあって(最初の十五分くらいは録音されていたのでテープ起こしをするまで気付かなかったらしい)、仕切り直しとなった。編集者によると、こんなことはこの雑誌では、三島由紀夫が自決する直前に行ったインタビューがまったく録音出来てなかった、ということがあって以来のことだそうだ。対談相手の方の話によると、昔、小森のおばちゃまチャールトン・ヘストンにインタビューした時(通訳は伊丹十三)も音が録れてなくて、再度やりなおしたということがあったらしい。そんなに稀なアクシデントにぶつかるのは、何か凄いことのようにも思える。二度目なので、一度目よりもこなれた感じで、より突っ込んだ話になって、一度目を打ち合わせだと思えば、まあ、かえってよかったとも言える。(今月は暇だからそんなことも言えるのだが。)
●四時半くらいに終わって、それから、六本木のミッドタウンの富士フイルムフォトサロンで「佐野史郎写真展 あなたがいるからぼくがいる。〜佐野家6代をめぐるフォトアルバム〜」を観る。
写真、特にモノクロの写真を見ていつもその都度驚くのは、すべてのものが同等に写っているという感じだ。人も、人の着ている服の模様も、背景の塀におちている植物の影も、草も、猫も、その時に、そこに、そのようにあったという意味で、すべて等しくある。肉眼では、おそらく決してこういう風に世界を見ることは出来ない。
そして、その感じがもっとも際立つのは、その写真が、誰が、誰を撮ったのか、ということが、分らなくなった写真なのではないだろうか。勿論、ここに展示された写真に写っているのは俳優、佐野史郎の父母や祖父母や祖先なのだということをぼくは知っているのだが、これらの写真を見るとき、そのことはほとんど意味をもたない。それは、通りがかりの猫や、たまたまその時にそこに生えていた雑草と同じくらい、たまたまそこ(カメラの前)にいた誰かでしかない。その人は、この写真を見ているぼくにとっては、名前もなく、関係もない人だ。(この人たちは、ぼくに、このようにして見られるということとは、まったく無関係に「そこ」にいる。)しかしだからこそ、この時、この人(この家族)が、確実にそこに居たのだという感覚が、強く湧き起こってくるのではないだろうか。固有名の外、(私との)関係の外にいる、私の肉眼が決して見ることの出来ない、しかし確実に存在した「その人(その人たち、その家族たち)」。関係がないからこそわき上がってくる「在る」という感じ。
古い写真を見ると、写真は、それを撮る人や撮られる人のために撮られるのではなくて、撮る人とも撮られる人とも関係のない人のためにこそ、撮られるのではないかという気がしてくる。ぼくが、今、誰かを写真を撮ったとすると、それは、ぼくが見るためのものでも、その誰かが自分を見るためのものでも、十年後のぼくが想い出を(その人とのかつての関係を)確かめるために見るものでもなくて、例えばぼくの死後に、ぼくのことも、撮られた誰かのことも知らない別の誰かが、たまたま目にして、ああ、ここに「人」がいる、こんな「人」がいたんだ、と実感するために撮られるものなのではないか。今、撮られる写真は、今はまだここにはいない人、つまり、まだ生まれてない人のためにこそ、生まれていない人の眼差しに向けてこそ、撮られるんじゃないだろうか。というか、そういう人こそが、今撮られた写真を、ちゃんと「見る」ことが出来る人なんじゃないだろうか、と思った。
(自分と関係のある人、例えば父母や祖父母の若い頃、あるいは自分自身の幼年時代の写真を見ることと、まったく関係ない誰か、が写っている過去の写真を見る時とでは、ちょっと感覚が違うようにも思われる。それと、自分自身の幼年時代の写真の方が、例えば父母の若い頃の写真よりも、より馴染みがないというか、より他人な感じがする気もする。ぼくの知っている父母と、ぼくの知らない--ぼくの生まれる前の--父母とが「似ている」ということには、世界の連続性のようなものが感じさせるのだが、ぼくの知っている自分と、ぼくの知らない--ものごころつく前の--自分とが「似ている」ことによっては、むしろ非連続性を、あるいは世界の遠さを、というか果てしなさを、感じる気もする。これはたんに自意識の問題なのだろうか。)