●肩の凝りと目の疲れがあるので、今日は本を読んだり絵を描いたりするのははじめからあきらめて、ひたすら散歩することにした。午前中と午後の二回、たっぷり歩いた。午前十時ころ、ふらっと家を出て歩いていると、いつもと感じが違うのに気づいた。風景を見るというよりも(勿論、風景も見るのだけど)、地面の方を気にしているような感じ。自分が今踏みしめている地面の、固さや触感、摩擦感、そしてなによりもその傾き具合の変化を、足で踏みながら感じ、味わっているような歩き方だった。意識的にそうしたのではなく、ふと気づいたらそのように歩いていた。気づいてからは、意識的にそれを気にして歩いた。視線はどうしてもやや下向きになり、歩く速度はいつもより遅くなった。地面の、足に対する表情は、一歩踏み出すたびに刻々と変化して、まったく飽きることなく、とても面白い。例えば、アスファルトで舗装された、長く緩やかにつづく坂道をのぼっている時でも、その傾斜は刻々と変化するし、場所によって、工事の丁寧さや、アスファルトに混じっている小石の粒だち、そして工事されてから経っている時間等によって、足に感じる感触(やわらかさや抵抗感)も、刻々と変化する(目に入ってくる視覚的抵抗感も変化するし)。地面の硬軟や触感は、膝から下のあたりで感じているようだが、刻々と変わる傾きの変化は、もう少し上の方、腰のあたりで感じているようだった。
住んでいるところの近所は、ちいさな丘がいくつも連なっているようなところで、しかも、古くからある農家と、あたらしく開発された地帯とが無秩序に入り組んでいるようなところなので、高低差や道幅の変化が豊かで、道も入り組んでいるのだが、地面の触覚や傾きもすごく多様で、いままでも無意識には感じていたはずだが、意識的にそれに耳を澄ます(という表現は変だけど)ようになると、今まで見えていなかったあらたな次元がぐっと開けたみたいで、散歩がさらに楽しくなった。