●通りかかるといつも、植物から発せられる濃厚な甘い匂いがふっと香ってくる場所があって、確かにそこには沢山の木が生えているのだが、そこに生えている木の一本一本の幹に鼻を近づけてみても、その匂いを発しているのがどの木なのかずっと分からなかった。そこは、大きな団地の入口の前の道路で、木は、団地の敷地から外までつづいていて、団地をつくる時に植えられたものではなく、そこにもともと生えていたものを残したという感じだ。今日、ふと気づいたのだが、その道路の団地とは逆側の端に、切り株というのか、切った木の根の部分だけが三株残されていた。何故、そこだけ根の部分が残されているのか分からないのだが、それはもう随分前に切られたものらしく、表面は黒ずんでつるつるになって、道路とほとんど同化していた。そして、その上に立ってみると、あの濃厚な甘い匂いが感じられた。えっ、と思って、しゃがんで鼻を近づけてみると、匂いは、その切り株から発せられているようだった。木ってすげえな、と思った。
●坂道をずっと散歩して、重力とか軸の傾きとか重心の移動とかを感じていて、自分が子供の時に、ウンテイやジャングルジムや鉄棒やブランコがとても好きだったことを思い出した。ウンテイで(三本抜かしとか四本抜かしとかいって)、一方の手を支点にしてもう一方の手を離し、からだを反転させつつ前方に放り出して、離した手でできるだけ遠くの先の棒を掴もうとして動いている時の重心の移動の感じや、ジャングルジムの内部をまるで迷路みたいに想定して、上下左右にぐるぐる移動する時に感じる、重力とそれに抗する感覚、鉄棒で、ぐるぐる回転して勢いをつけ、パッと手を離してどこまで遠くに飛べるか(たしか「大車輪」とか呼んでいた)、という時の、ふわっと宙に浮く、浮遊感と不安定な感覚、ブランコで、とにかくどこまでも高く、振り幅を出来るだけ大きくさせようと漕いでいる時に感じる、重心の移動というか、ブレの感覚。ぼくは今でも、ただそういう感覚に魅了されつづけているだけなんじゃないかという気もする。(しかし、これらの遊びはみな、見事に自己完結していて、ぼくは昔から、ゲームとか競争とかにほとんど興味がなかったのだなあと思う。いや、普通に野球とかトッジボールとかもやってたけど。)
●歩いていて、街中を流れる小さな川の川沿いに出たとき、岸というのか、道路から川へと落ち込んでゆく斜面に、名前は分からないのだが、ラッパ型でかなり大型の、下に向かって垂れるように咲く白い花が、斜面を埋め尽くすように咲いているのに行き当たった。二、三日前に通りかかった時は気づかなかったのに、いきなり、という感じで咲いていた。そういえば去年も、同じ場所で、この花に「いきなり」行き当たって、しかし、それから二三日後には、すっかり姿を消していたという記憶がある。花を眺めながら川沿いの道を歩きつつ、逆に花から見られるように、去年、この花を見ながら同じ道を通った時の自分の姿が、その時に着ていた服や靴までふくめて「見えた」ように思い出せた。とはいえ、ぼくはそんなに沢山、服や靴を持っているわけではなく、季節が限定されれば、その組み合わせのバリエーションなど知れたもので、それを思い出せたことは、何ら驚くべきことではないのだが。(重力の話のつづきだが、ぼくは、植物でも、上に向かってすっと伸びているような形態のものより、なんとなく、だらっと下に垂れているような形態のものに強く魅了される傾向があるみたいなのだった。)