●24日に横浜のSTスポットに神村恵カンパニーを観に行ったのだが、前にも書いたと思うけど、STスポットのあるSTビルは、ぼくが長い浪人時代、ほぼ毎日通っていた予備校のすぐ近くで、近くどころか、いつもその敷地内を突っ切って予備校に行っていた(ぼくの浪人は三年にも渡っていて、一浪の年はまだSTビルは建設中だったので、その敷地を突っ切ることは出来なかったのだが、三浪目にはもう完成していて、その敷地内を通るのが近道になった)。JR横浜駅の西口から、ダイヤモンド地下街を通って、天理ビルとの連絡通路にある出入り口から地上に出て、道路を渡るとSTビルがあって、その敷地を抜けて、運河にかかる橋を渡り、ミスタードーナッツ(今は「とんとろ」になっている)とファミリーマート(これは今もある)を越えて、大通りを渡って、二十メートルくらいの坂を登ると、そこに予備校があった(今も、経営母体と名称が変わったけど、ある、前は○○美術研究所だったのが、今は○○美術学院になっている)。
浪人時代はやはりキツい時期で、その分記憶も濃く、特に、横浜のダイヤモンド地下街を通ると、その頃の記憶が、つまり、その時期にそこを通っていた時の気分が、つい、二、三年前のことにように、すごく近い感じでぼくの体内で自動的に再現されてしまう。ダイヤモンド地下街の空間(そこにある店舗は多少変わっていても、空間の構造はまったく変わっていないので)が、記憶の再生装置になっているかのようなのだ。24日はクリスマスの時期で、浪人時代、その時期は受験前の追い込みで、毎日、朝の九時頃から夜の八時か九時まで、ずっとアトリエにこもって絵を描く毎日だった(遅い日は帰りが終電近くにもなった)。美大の受験は、短い時間(六時間から、長くても十時間)で、高い倍率を勝ち抜くだけの密度とインパクトをもった絵を描く必要があり、技術だけではなく、そういうことが出来る(ちょっと異常なともいえる)状態に自分をもってゆく必要があり(ぼくは基本的にそんな状態で絵を描くのは間違っていると思うので、受験のことはなるべく思い出したくないのだが)、だから予備校の講師たちも、あの手この手を使って受験生たちを(精神的にも)追いつめてゆくのだった。そこには、宗教団体とかなんとかセミナーのような空気さえ漂う。そういう特別な(感情的にも様々な屈折のある)昂揚状態での長い一日が終わり、受験前で緊張はしているが、それでも多少はホッとして家に帰ろうと、ダイヤモンド地下街を通ると、クリスマスや忘年会で浮かれた人たちで溢れていて(横浜駅西口の混雑は、当時も今も、新宿や渋谷よりも凄いのだ)、それを横目で見ながら駅へと歩いてゆく時の、あの何とも表現出来ないざらざらして荒れた気分。それが生々しく蘇ってきてしまう。
ぼくが浪人していたのは86年から88年までの三年間なのだが、そこで蘇る気分があまりに近くて生々しいので、それが二十年も前のことだとはどうしても思えず、つい二、三年前のこととしか思えない。どう考えても、二十年も経っているはずかない、と感じられてしまう。だから、ダイヤモンド地下街を通っているその時だけは、今が2008年であるということの方が間違っているとしか思えなくなっている。今が2008年であるというのは、電車のなかで思わず熟睡してしまって、あわてて起きたのでまだ半ばボケている自分の頭がつくりだした妄想ではないのか。本当はまだ、90年とか91年くらいなのではないか。あれからの二十年は、電車のなかで眠っている時にみた夢なのではないか、と。これは大袈裟ではなく、ダイヤモンド地下街を通っているその時には、実感としてそうとしか思えないのだ。
今年の八月に、大分で「零のゼロ」という展覧会に参加したのだが、ぼくはその参加作家のなかで最も年長で(67年生まれ)、最も年少の作家(87年生まれ)とは二十歳の年齢差があった。相手はどうか知らないけど、ぼくの方はそのような年齢の差はあまり感じなかったのだが、それはともかく、その最も年少の作家が生まれたのが、ぼくが浪人しているあの頃だったのだ。ちょうどその頃に生まれた人が、もう二十歳を過ぎ、美術作家となって、同じ展覧会に作品を出品している。そのことを考えれば、あれからの二十年が夢であるはずはないのだ。その人の存在そのものが、二十年という時間の実在を証明する。ということを、24日にまさにダイヤモンド地下街を通りながら考えて、ぼくはとても混乱した。その時の「今」まさに実感していた「あの気分」の近さと、しかし大分で実際に会って話もしたその作家が、その頃に生まれたのだという事実とが、折り合いのつかないものとして同時に、同じくらいの強さで生起していたのだ。大分で何か月か前に会ったその人が、(時間的には逆行するけど)いましがた電車のなかでぼくがみていた夢から生まれたのではないか、とまではさすがに実感出来なかったけど(そこまでいけたらボルヘスになれたかもしれないのだが)。というか、そもそも、(その時の)今、ここを歩いている群衆のうちの何割かは、確実にあの頃には存在しなかった人なのだと気づいた。ほくにはもう、ほとんど時間の感覚がわからない。