●昨晩から今朝まで、夜通しずっと本を読んでいた。
面白い本は、読んでいてなかなか進まない。端折らずに、内容をじっくりと噛み砕いて呑み込みたいと思うからということもあるけど、それよりも、面白い本を読んでいると、その本に書かれていることとは直接的には関係のない別の事が次々と頭に浮かんできて、ページに指を挟んだままで、しばらくは「別のこと」の方を考えることに熱中してしまって、なかなか本の方へ戻れなくなってしまうからだ。
読んでいて、するっとは通り抜けられない難しい部分にひっかかり、それを理解しようと集中してその記述に入り込み、完全にではないにしろ、ある一定の理解が得られたと感じ、そしてその理解したことによって、自分の頭のなかにそれまではなかった、新たな広がりが開けるように感じられると、そのことの興奮と共に、そこに書かれていたこととは別の、頭の隅にいつもあって、気になっていることのいくつかが、それに刺激されて振動し始め、そこにもまた、それまでは得られていなかった別の通路がするっと開ける予感のようなものが生まれ、考えがそっちに流れてゆき、しばらくはそっちに留まる。
とはいえ、同時に、その本のもっと先へと進みたいという気持ちも当然あり、しかし、今、もうちょっとで、こっちの方で何かが開けそうで、先いっちゃうとこっちが消えてしまいそうで、こっちに留まろうという気持ちもあり、なんというのか、落ち着かないというのか、とっちらかっているというのか、とてももどかしい。この「もどかしい」という感覚こそが、面白いという感覚とつながっていて、ぼくはこのようなもどかしさがなければ、何かに向けて集中した関心を向けつづけることが出来ない。
そういえば、作品をつくっている時も、常に注意があっちこっちに飛んで、わさわさと落ち着きがなく、とてももどかしい感じだ。制作に集中し、非常に深く没入しているという感じと、どうでもいい別のことが気になって、気が散っている感じとが、同時に起こっているような(あるいは、短いスパンで次々切り替わっているような)、頭のなかがひろがって、しかし散らかっているような「もどかしさ」のなかにいる時が、おそらく、制作している時のもっとも良い状態なのだと思う。その時は、「描きたい」と「もうやめたい(飽きた)」の二つの気持ちが、どちらもかなり強い力としてあって拮抗していて、ほんのちょっとだけ「描きたい」が勝っているという状態だろう。この「もどかしい」状態を長時間持続させるのは難しくて、ちょっと気を緩めると、すぐに「没入(描きたい)のみのモード」に入ってしまう。集中することは、行為の目的がある程度確定され、限定されている時には非常に有効だけど、行為することによって、行為の目的が探られるような行為をしている時には、それだけでは危険だと思う。
●東京芸術見本市に神村恵が出るみたいだ(http://www.tpam.or.jp/japanese/inter.html)。神村恵のダンスは、今のぼくのなかでは観たいものの優先順位で圧倒的に一位なのだが、チケットはどうなっているのかと調べたら、観るのには一日パスというのを四千円で買う必要があるらしい。今月はフランケンズの公演もあるし、すごい高い本も買っちゃったしで、それ以外では、ほとんど身動きができない感じになる。美術館とか映画館とかには、しばらくは行けなさそう。入場無料のギャラリーに行くのだって、交通費がかかるし(都心は遠い)。