●『TOKYO!』(ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ)をDVDで。三本とも、わりと面白かった。三本とも、いわゆる「映画」とは別物というか、ぼくが「映画」として知っている何かとはまったく別のことをやっているのだと思うけど、そこが面白い。ミシェル・ゴンドリーやポン・ジュノはともかく、レオス・カラックスでさえ、「映画」ではないことをやろうとしているように思えた。
ミシェル・ゴンドリー。丁寧につくられていて、隅から隅までミシェル・ゴンドリーで、ただそれだけと言えばそれだけで、だから退屈だと言えば退屈とも言えてしまうのだが、ミシェル・ゴンドリーって、こういう人だよね、という次元で面白い。それに、途中で女の子が椅子になってしまうというイメージははっとさせられるくらいに冴えていると思うし、その過程の描写もすごく面白くて、おおっ、と思った。この監督の、こういう手仕事的、手作り的な描写は好きだ。女性=椅子というイメージの隠喩的関連は(女性に対するあまりに保守的な価値観で)ちょっとどうなのか、というツッコミも勿論可能なのだが、でも、ミシェル・ゴンドリーってそういう人で、そういう女の子が好みなんでしょ、ということで別にいいのではないか。カップルの関係の描写とかも、これがパリを舞台にしたフランス映画とかだったら普通かもしれないけど、東京で日本の俳優がやっていると、ちょっと新鮮な感じもした。
レオス・カラックス。東京なんて気にくわねーし、こんな企画やる気にもならねー、という気分のみでつくられたような作品。その感じこそがカッコイイといえばカッコイイのだが、そのかっこよさだけでは、この時間をひっぱるのはちょっとキツい、という感じもした。最初にバーンと押し出されるドゥニ・ラヴァンのキャラの強さ、かっこよさに比べて、映画としてのその後の展開に策がなさすぎというか、展開が単調に過ぎるようにも感じられた。意図的に陳腐に、戯画的につくられているのだろうけど、裁判の場面(マルチ画面は無理矢理に場をもたせるためとしか思えない)や絞死刑の場面(大島渚のパロディ?)はけっこう退屈。レオス・カラックスは、本気で没入してやらないと面白くならないのだなあと思った。
ポン・ジュノ。三本のなかで、ぼくには一番面白かった。これはもう完全に「映画」とは別の何ものかだと思う。ここから安易に「寓意」のようなものを読み取ろうとすると、ひどく陳腐なことにしかならないのだが。前半、蒼井優がガーターをつけていたり、からだにスイッチがあったりするところ(設定)は、完全に日本製のアニメで、ポン・ジュノはアニメが好きなんだろうなあと思った。あと、地震があったり、香川照之が外に出た後の描写とかは、Jホラーのパクリみたいな感じで、ホラーの技法をホラーとは別の文脈で使うとこうなる、いう感じがした。つまりこの作品は、日本の風景を撮るというよりも、日本製のアニメやホラーの技法によって作品をつくることで「TOKYO」と関係するというものなのだと思う。しかし、たんにアニメを実写でやってみるとか、ホラーの技法を真似てクリシェと遊んでみるとかいうことではなく、それが結果として、作品としての実質のある、とても妙な感じの面白いものにまでちゃんとなっていると思った。引きこもりの男とピザの宅配の女とが出会う話なんて、どう考えても退屈な話にしかならないと思いきや(観る前はきっさと面白くないだろうと思っていた)、地震があったり、女の子がいきなり倒れたり、スイッチがあったり、引きこもりが逆転(反転)したりとか、次々と思いもよらないイメージの展開や発展があって、その、先の読めない、次々と転がって行く展開の力によって、たんなるパロディを超えた充実した作品になっている。ポン・ジュノは、これからきっと、もっと面白くなってゆくと思う。