●シャワーを浴びた後にすんなりと汗が引いたのは何ヶ月ぶりだろうかと思った。でも、外に出るとまだまだ蒸し暑い。強い日差しがない分、じわじわと責められるような暑さ。前を歩く短髪のお兄ちゃんは、手に大きなタオルを持ち、顔、額、首、頭を順番にぬぐいながら歩いている。
夜、駅前の、いつになく空いているマックで本を読んでいた。冷房が弱く、軽く汗ばむくらい。静かだったのに、高校生くらいの集団が騒ぎながら階段を登ってくる声が聞こえてきた。その集団は全身びしょ濡れだった。髪からは水がしたたるくらい。あ、雨なのか、と思った。鞄のなかに折りたたみ傘があるのを改めてを確認した。帰る頃には雨は上がっていた。涼しくなるのを期待したが、相変わらず蒸してした。
いつものように、玄関側とキッチン側の二つの窓を開けっ放しにして寝たら、夜中に肌寒さで目が覚めた。冷たい空気が部屋のなかをゆっくり移動している。急に来るよなあ、と思う。
●正月に実家に帰った時に親からもらったビール券を金券ショップで換金して、なんとか電気代を支払う。でもこれは、三ヶ月前のものだ(これ以上遅れると電気が止められる)。昔、水道は命にかかわるものだから、料金を滞納しても簡単には止めないという話を聞いたことがあるが、それは都市伝説で、三、四ヶ月くらい滞納すると、水もあっさりと止められる(止められた経験あり)。
実際、水道が止まっても、コンビニで水は買える。数千円(水道料金何ヶ月分)というまとまった金は払えなくても、日常的な二百円、三百円ならなんとか払える。というか、(日々の糧となる)そっちを優先させなければ生きていけない。でも、そうするとまとまった方が払えなくなる。結果としては割高になるのだが(水道水の方が安いに決まっている)、それが分かっていてもそうせざるを得ないという場所に追い込まれる(それを支払うと明日のご飯を買う金がなくなる、貧乏だってたまには酒くらい飲みたくなることもあるし)。貧乏は結果としていろいろと割高につく。これは極端な例としても、「貧しさ」って結局、そういう、時間の先取り(による利益)の不能のことであり、そして否定のことなんじゃないか。いや勿論、「否定」とか言ってかっこつけても、せめてもうちょっとは楽になりたいわけだが。