●起こってしまったことのとんでもなさが時間がたつにつれてどんどん大きなものになってゆく。受け止め得るキャパシティを越えてしまっている。このような出来事によって我々がどのような場所に(状況に)連れて行かれるのかまったく予測できなくて不安だ。しかし、それを今考えても仕方ないし、それは今考えるべきことではないだろう。
●十三日以降には停電もあり得るということなので、懐中電灯を確保しておこうと思ったのだが、考えることは皆同じらしく、近所ではどこも売り切れで手に入らない。100円ショップでようやく、なんとも頼りなげなやつを見つけて買ったけど、二種類買った一方のLEDのやつははじめからまったく灯りがつかず、もう一方もきわめて頼りなく(通常のやり方では点灯せず、頭の部分をくるくる回して点けたり消したりするしかない)、肝心の時はまったく使えないこともあり得る感じ。いまどきこんな「安かろう悪かろう(死語)」があるのか、と懐かしい気持ちにさえなる。あと、電池を買ってきて普段あまり使っていないCDラジカセにセットした。ちゃんと作動した。ラジオを聞いたのは何年ぶりだろうか。
●100円ショップでの拾い物は、面白い色が混じっている色画用紙をみつけて、それをとりあえず六冊買ったこと(暖色、寒色、パステルカラーの三種類あって、それぞれ10色ずつ入っている。それを二冊ずつ六冊買った)。これにクレヨンでドローイング(というかラクガキ)したら楽しそう。
●スーパーで食料品などは普通に売っていたし(なぜか納豆だけは極端に品が少なかったが)、昨日あんなことがあったとは信じられないくらい、外の様子は、春まであともう一歩の土曜日という感じのおだやかさだった。人々は皆、普通にしていた。光もまぶしく、割合と暖かい天気で、とても良い感じ。風がちょっと強かったし、花粉がすごいことを除けば。
●どこから手を付ければよいか分からないくらい部屋がぐちゃぐちゃだ。何故かとてもご飯が食べたくなる。ホッケを焼いて、鳥もも肉とネギの入ったスープをつくった。
●どうしても「眠る」こと(特に「この部屋で」)に対する恐怖は残っているみたいで、うとうとしてもすぐ目覚めてしまう。だから逆にいつもうとうとしてしまう。