●夢の話。リリーフでの登板を要請されてマウンドへと向かう。試合が行われているのは、学校の教室と本屋とが混じったような空間(屋内)で、試合を観ているわけではない通りすがりの客もいる。というか、大半の人は試合になど関心なく通り過ぎてゆく。そういう人々の流れのなかで試合は行われている。ぼくは覚悟を決めて厚い革製の手袋をつけ、ボールの代わりになる大きめのキャンディーを三つ四つポケットにしまって足早にマウンドを目指して本屋の売り場のような細い路地を抜けて行く。予期せぬ要請であり、ぶっつけ本番で不安だったが、キャンディーをボール代わりにすることでなんとか乗り切れるだろうという算段があった。途中でグローブを忘れたのに気づいていったん引き返す。マウンドと言っても特に何もない。板敷の床で盛り上がってもいない。ただ向かいに打者が立っているだけでキャッチャーもいない。打者の後ろには壁がある。打者はいつまで待たせるのかと不満げだ。小倉智昭が打者だった。ぼくは壁に向かってキャンディーを投げる。打者は空振りをして、壁に当たったキャンディーは二つに割れて跳ね返る。ポケットに入れてくるキャンディーが、三、四個では足りなかったなあと後悔する。
マウンドのすぐ後ろはもう壁で、ドアがある。ドアが開いて若い男が出てくる。男は、誰にことわって、ここでそんなことをしているのだと文句を言う。何を言っているのか、ここはもう何十年も前からマウンドで、その間、途切れることなくずっと試合がつづいているではないか、と言い返す。男は、そんなはずはない、そんな話聞いていないと言う。それは明らかに嘘で、ここでずっと試合が行われつづけているのを、男が知らないはずはないのだ。しかし男は、自分がここに着任して一週間になるが、昨日までこんなことは行われていなかったと言い張るのだ。男は、とにかく、自分がここに責任者として着任した以上、ここでこんなことをするのを許可するわけにはいかないと言う。何の権利があってそういうことを言うのか、お前の権限は、この壁のところまでしか有効ではないはずだ、壁のこちら側のことにまで口出しすることなど出来るはずはない。だが男は、ここまでが我々の管轄であるのだから、そのすぐ前でこんなことをされるのを黙って見過ごすことは出来ないと言う。ぼくは男のあまりに一方的で高圧的な態度に激しい憤りを感じている。とにかく、今は試合中だから、話はあとでつけることにしようと言っても、男は、今すぐそんなことはやめろ、私はそれを許可しないの一点張りなのだ。
ぼくには男の役人特有の高慢な態度がどうしても許せず、すぐにでも掴みかかって殴ってやりたいという強い衝動にかられるのだが、そんなことをしたらそれこそこの男の思う壺なのだと必死に感情を抑制して抗議をつづける。男は、どうだむかつくだろうとばかりに挑発的にへらへらした表情へと切り替えている。ぼくはどうしても我慢できずに、殴ってしまわないように両手を後ろにまわして、自分の左肩を相手にぶつける。男もまたぶつけ返してくる。ますます憤りは高まり、このままでいては自分の感情をコントロールすることができなくなってしまうと思い、ぼくは交渉を放棄して一人で控室に戻ってしまう。
控室のソファーで、ぼくは自分の怒りのあまりの激しさに自分で戸惑っている。自分の内部からこのような怒りが込み上げてくることが恐ろしくなる。怒りはどんどん純化されて高まってゆき、既に男のことなどどうでもよくなっている。そうだ、と気づく。この怒りは男に対するものではなく、おそらく怒りですらないのだ、と。何かの装置が勝手に稼働しはじめたのだ。これはこの世界に埋め込まれた純粋な高揚であり、自分の内部から出てきたものでもない。だとしたら、このあまりに激しい高揚に、自分のからだは耐えることができるのだろうかという恐怖を感じる。