●『輪るピングドラム』第11話。えーっ、そうきちゃったのか、という感じ。オープニングの「95」という数字、丸の内線沿線が舞台であること、そして村上春樹(かえるくん)への言及などから、地下鉄サリン事件が意識されていることは確かに匂わされてはいたけど、まさか、今まで散発的に展開されてきた様々な出来事の収束点(出発点)のような位置にそれがどかんと置かれてしまうとは…(空間的には「水族館」と同じ位置に、時間的には「あの事件」が置かれてしまった)。正直、射し込まれたという感じでかなり戸惑っている。この先、どうなっちゃうんだろうか。
サリン事件に触れるということは、オウム真理教にも触れざるを得なくなってしまうのではないか(晶馬が加害者の側にいるかのような口ぶりなので、なおさら)。そうなると、この物語はいったいどこに向かって行くことになるのだろうか。とはいえ、作品の展開としてはまだ収束には遠い半ば辺りであり、作中では今のところ十六年前の「あの事件」としか表現されていない(あきらかに地下鉄サリン事件を連想させる)「事件」を、この作品がどのような形でフィクションとして構成するのかというところを見てみないと、これ以上は何も言えない。とりあえず、この時点での戸惑いと不安と驚きのみを記しておきたい。
●それにしても、「ピングドラム」の徹底した規格外な感じはすごい。
ウテナ」でも、最初の方を観ている時には、最後にあんなところまで行くとは思いもよらなかったのだけど、それでも、一話完結的な物語と毎回の「対決」というファーマットがあって(それに、エグイ様式美みたいな一目で分かる特徴もあって)、そのバリエーションとして展開があり、それが次第に崩れてゆくことで別のステージに進む感じだったけど、「ピングドラム」では、はじめからずっと次の一手がどこにくるのか分からないぶっ飛んだ展開が続き、なだらかな物語ではなく、非連続的で予想外な展開の驚きのなかで次第に(事後的に)人物や出来事の関係の網目がみえてくるというつくりになっている。そして、ぶっ飛ばしつづけているその初速が衰えない。つまり、安定的なリズムや先の見通しが与えられない。視覚的、様式的にも、一つの統一された趣味のようなものが明確に(分かり易く)あるわけでもない。観ている者に「安心」を与えない。この先、とんでもないものが現れるかもしれないし、一歩先はまったくつまらなくなってしまうかもしれないという緊張が、少なくともここまではずっと持続している。
●しかしこの感じは、事前に何の情報もない状態で、一週間に一度というペースで、間をあけて、たった三十分ずつという切れ切れの形で、まだ完結していない作品を順を追って観ている、という作品を経験する時間の形式とも関係していると思う。作品が完結してからDVDでまとめて観る、という見方とは、明らかに違う経験をしていると思う。
ウィキペディアを読んだら、サリン事件で丸の内線は、荻窪発池袋行きと、池袋発荻窪行きの両方(双方向)で犯行が行われて、その両方あわせて亡くなった人が一人だったという。この作品の2+1という構造は、そのような事実とも関係があるのかもしれない。