●『ツチノコに合掌』(池田将)をDVDで(『亀』を撮った監督の新作)。つづけて二度観てしまった。この作品は2010年に撮影されたのだが、まだ公開は決まっていないという。監督の池田さんがDVDを送って下さったので観ることが出来た。確かにこの作品を「売る」のは難しいと思うし、褒める言葉を探すのも難しい。しかし、まさにそこにこそ、この作品のすばらしさがあると思う。大胆な映画だと思う。これは池田将の商業映画としては第一作だと思うけど、第一作でこれだけ妥協せずに「やり切る」ことが出来ているのがすごい。『亀』の延長線上にありつつ、ケレンが削ぎ落され、コアなところがさらに研ぎ澄まされた感じ。
だが、この映画を一回目に観た時の最初の30分くらいは、いろいろ上手くいっていないんじゃないだろうかという危惧を持ちつつ観ていた。個々の場面は面白いのだが、それがバラバラな感じで有機的に繋がっていないのではないか。そして、その場の空気やパフォーマンスを優先するあまり、それが「映画」として撮られていることの必然性が希薄なのではないか。つまり映画というメディアとパフォーマンスがかみ合っていなくて、面白いパフォーマンスを撮影したものをあつめただけみたいになっているのではないか、という印象を持った。
しかし、ある程度時間が経過し映画が進行して、様々な場面が重ねられるうちに、ある瞬間に印象がガラッと変わる。いままでバラバラに見えていた個々の場面に内的な共鳴が起こって、急激に世界が立体化する。それまで、下手をするとたんに「ネタ」に過ぎないのではないかと思われた細部さえが必然的に感じられ、それぞれの登場人物の厚みとなって再認識される。この作品はいわゆる群像劇の構造を持っているのだが、たんにバラバラだったパズルのピースが繋がってくるというのではなくて、(それぞれ独立して存在している)個々の場面に、深いところでの共鳴が起こりはじめる。
この映画が大胆だと思うのは、他に何も「保険」をかけずに、この内的な共鳴だけに作品の生命が賭けられているところだと思う。タイトルの前に五つの場面が示され、その五つが、それぞれ違ったリズムではあるが、本当にゆっくりと絡み合ってゆく、そのゆっくりさがすばらしいのだが、そのすばらしさもまたゆっくりとたちあがってくる。その、ゆっくりとたちあがってくるすばらしさのみに作品が賭けられている感じ。
池田将の演出家として優れた資質は空気をディレクションできるところだと思う。「空気」というと軽く考えられがちだが、それは、その場にある様々な要素の言語化できないくらいに複雑な絡み合いの総体のことだ。それは例えば溝口健二が「反射」という言葉で言い表そうとしていることとに近いと思う。様々な要素が互いに反射し合う、その諸反射の相反射を活気づけることが出来るということ。そして前述したように、その反射は個々の場面でだけでなく、場面と場面との間、人物と人物との間にも起こる。作品全体がとても複雑に反射が反射しあう立体的な構造体となる。だからそれは、群像劇の複雑な構造を演出家が超越的な位置から操作するというのとは根本的に違う。粒子と粒子が共振する触媒となるような感じ。
もう一つ、その反射(空気)を生み出す発想が根本からデジタル的であるように思われる。おそらく池田将の映画を支える感覚は、フィルムによって撮られ、フィルムによって育まれた「映画」とはちょっと違う気がする(オーソドックスな切り返しみたいな繋ぎもあるけど、そういうことではなく)。場面をつくる発想も、フレーミングも、俳優のパフォーマンスに対する要求も、作品全体に流れる時間に対する感覚も、あくまでデジタルで撮影されることが前提とされて組み立てられているように思われる。いわゆる「長回し」とかもフィルムのそれとは発想が違う感じ。だからそれは、いわゆる「映画好き」の人が「映画」に対して期待し要求するものとはズレている。ぼくが最初の30分くらいを「映画として上手くいってないんじゃないか」と感じた理由も多分そのズレから(つまりぼくの臆見から)来るんじゃないだろうか。しかしそこにこそ、この作家の独自性と、新しさ、大胆さがあり、デジタル映画の(フィルム映画とは別の)可能性があるのではないか。少なくともこの作品は、「そこにこそ別の可能性がある」と感じさせてくれるところまではやり切っていると思う(おそらくそこは柏田洋平による撮影の貢献も大きいように思う)。
風景がとてもすばらしい。そしてその風景のすばらしさもまた、デジタルカメラによって捉えることによって生まれるすばらしさであるように思う。そして何より、すべての登場人物がすばらしい(風景を捉える時も人物を捉える時もそうなのだが、そこには「ショット」という概念では捉えきれない何かが含まれているように感じる)。最初は、あまりに「ネタ的」すぎると思われたコンビニで働く二人組の女性の存在が、途中から思ってもみなかった深みと広がりをもつようになって、それだけで泣いてしまいそうになる(これは物語的に重要な役割をもつということとは違う)。それが作品世界の広がりとなる。そして、松本花奈がすばらしい(『サイドカーに犬』も『呪怨 黒い少女』もとてもよかったけど)。
●一日もはやく、少しでもよい状態で公開されることを願っています。この映画が「観られない」状態のままであるということは、単純にすごく勿体ないことだと思う。