●お知らせ。3月8日(金)に渋谷のアップリンク・ルームで行われる「コラボ・モンスターズ!! の魔」(特集“高橋洋”)にトークゲストとして参加します。
http://collamon.jugem.jp/?eid=167
高橋洋監督の『旧支配者のキャロル』『おそらく悪魔が』『続・おそらく悪魔が』『炎の天使』、古澤健監督の『love machine』『パンツの名』が上映されます。『旧支配者のキャロル』は、「映画芸術」誌2012年ベストテンの4位になっています。
『旧支配者のキャロル』のトレーラー
http://www.youtube.com/watch?v=CXLydI_5rTo
●3月は、もうひとつ別のトークにも参加しますが、その詳細はもうしばらくしたら発表されると思います。
●以下は、この件についてやり取りで、ぼくが高橋洋さんへのメールに書いた『旧支配者のキャロル』の感想の一部です。微妙にネタバレしてしまっています。
●ぼくが高橋さんの作品からいつも感じるのは、抽象的なものを具体的に表そうとする意志のようなもので、そこにある種の神学的な強さを感じます。だからそこでは、具体的なイメージそのものが重要なわけではなく、かといって、イメージをどのように解釈するのかが重要なのでもなく、イメージの構成によって形作られる、別の時空、別の因果律が問題にされているように感じます。そして、そのような「別の」因果律こそが、「現実」と呼ばれている自然主義的な因果律(リアリズムのお約束)よりもずっと現実的なのだという感じで、そのリアリティを支えているのが、運命や呪いというものの強迫的な反復ではないだろうか、と。
『旧支配者…』で中原翔子さんが演じている役は、ある意味、既に外に出て(三次元化して)いる貞子だともいえて、それが今度は逆に、十六ミリの画面(平面)へと後退することで呪いを本格的に周囲に伝播しはじめ、さらに、上下逆さになった顔として再度、主人公の方へと迫り出してくる(もっとフィルムを回せ、と)。松本若菜さんが演じる主人公は、あらかじめ呪いにかかった状態で、いわば呪いによって映画学校へと招き寄せられたようなものなので(履歴書が中原さんの眼にとまった時点で「呪い」の方から見られてしまっている)、そこで運命は決まってしまっていて、形勢を逆転させることは決してできない。
松本さんはまず、履歴書の写真(平面)として登場し、後に実物(三次元)となり、中原さんは逆に、まず実物(三次元)として登場し、二次元の松本さんに目をつけて三次元へと引っ張り上げ、自分は映画の画面のなか(二次元)へと後退してゆく。『旧支配者…』には、あからさまな上下の逆転や、切り返しによる「二」の対立がみられますが、このような二次元と三次元(映画なのでどちらも二次元ですが、映画内三次元と映画内二次元)の対立(あるいは対称)性こそが、とても重要であるように思われました。フィルムを回せば回すほど、撮影されている中原さんの二次元性は増してゆき、逆に撮影している松本さんの二次元性はすり減ってゆく。三次元(撮影現場)で行われている中原/松本間の激しい抗争はあくまで事の一面であって、そこで起こった地位の転覆の深層で、フィルムを浪費させつづけていた中原さんが着実に勝利の地盤を固めていた、と。
一面で、中原さんと松本さんの激しい(上下をめぐる)弁証法的な抗争があり、しかし他面では、吸血鬼のような中原さんが、ひたすら松本さんの生気を吸い尽くしていたという裏の展開があり、表の展開でとうとう逆転を果たした松本さんが、しかし知らぬ間に生気を吸い取られてしまっていた。この、裏表の世界の同時進行の感じが、まさに高橋さんの作品だと感じました。
松本さんにとって支配−被支配の抗争であったことが実は、中原さんにとっては相手の生気(フィルム)をひたすら消費させることであったというような逆転は、この映画が一見して「顔」の映画であるように作られている一方、しかしそのすべての顔を映し出す白いスクリーン(中原さんのスカートの奥の白い下着)こそが支配しているというような逆転にもみられるように思いました(もちろんそのことは、この映画が抗争の映画であり顔の映画であることを否定するものではないと思います)。
ここでみられるフィルムやスクリーンというものを、映画自身の自己言及のように解釈してしまうとたぶん面白くなくて、それは、イメージ(われわれにとりあえず見えたり触れられたりするもの)に対する、イメージを成立させる基底となる何ものか、なのではないかと感じます。そして、呪いや運命や掟といったものは、イメージとその基底面との関係としてあるのではないか、と。イメージとその基底面との関係という抽象的なものを、なんとかイメージとして顕在化させる、あるいは、イメージのあり様に反映させようとする。高橋さんの作品の難解さは、そのようなところからきているのではないか、と。そう考えると、『旧支配者…』と『恐怖』とのつながりも見えてくるように思いました。