●新アニメ。「スペースダンディ」と「バディ・コンプレックス」を観た。どちらも滑り出しは上々という感じで期待できそう。ただ「スペース・ダンディ」は、すごく力が入っているのは分かるけど、下手をするとセンス的に寒いことになりかねない危険はある気がする。例えば、主題歌が岡村靖幸とやくしまるえつこになっていて、そんな感じだと詰め込み過ぎでブレが出てしまうのではないか(どっちか一方でいいでしょ、と)。「船頭多くして…」にならないといいけど。ただ、一話の段階ではそういう感じはなかった。脚本家のメンバーに円城塔の名前があったりするので、今後(コメディにプラスして)ハードSF的な展開になるのではないかという期待はある。「銀河ヒッチハイク・ガイド」級のものを期待したい気持ちもある。「バディ・コンプレックス」は典型的なロボット物という感じだけど、演出というか、語りが引き締まってきびきびしているのがよかった。
●物と情報は区別できない。例えば、コンピュータが発熱するのは情報を削除するためだ。情報は捨てられると熱になる。以下、カーツワイル『ポストヒューマン誕生』より引用。
≪プログラムは、ふつう、中間の結果を全て保持してはいない。そうすると、不必要に大量のメモリを使ってしまうからだ。入力情報をこのように選択的に削除することは、とりわけ、パターン認識システムに顕著だ。たとえば、人間のものでも機械のものでも、視覚系では、非常に高い割合で入力を受け取るが(眼や視覚センサーから)、それに比べるとコンパクトな出力をする(認識されたパターンの判別など)。こうしてデータを削除すると熱が発生し、ゆえにエネルギーを要する。情報が一ビットでも消されると、その情報はどこかに行かなければならない。熱力学の法則によれば、抹消されたビットは基本的に周囲の環境に放出され、その結果、環境のエントロピーが増す。エントロピーは、環境中の情報量を測る尺度と見なすこともできる(明らかに無秩序な情報を含んでいるが)。エントロピーが増すと、環境の温度が高くなる(温度はエントロピーを測る尺度であるため)。≫
だとすれば、コンピュータがもしも、入力された情報を一ビットたりとも削除しないとすれば、コンピュータが環境に対して熱を放出することはなく、したがって、コンピュータが外部からのエネルギーを必要とすることもなくなる。エネルギーを必要としないコンピュータ! それを、(計算過程の情報を捨てる不可逆的コンピューティングに対し)可逆的コンピューティングというそうだ。
≪ロルフ・ランダウワーは、一九六一年に、NOT(否定――0は1に、1は0にとビットを反対のものに転換する)などの可逆的論理演算はエネルギーを取り込んだり熱を出したりすることなく実行できるが、AND(論理積――入力AとBの両方が1の場合に限り1のビットCを出力する)のような不可逆的論理演算にはエネルギーが必要となると示した。一九七三年には、チャールズ・ベネットが、どのようなコンピューティングでも可逆的論理演算のみを用いて実行できることを示した。その一〇年後、エドワード・フレドキンとトマソ・トフォリが、リバーシブル・コンピューティングの概念を総括的に見直した結果を発表した。その基本的な考え方は、中間の結果を全て保持して、計算が終わったときにアルゴリズムを逆向きに走らせたら、開始した地点に行き着き、エネルギーは一切使わず、熱も一切発生していないことになる、というものだ。それでも、その過程でアルゴリズムは計算されている。≫
計算が終わった後に、その計算を逆向きに走らせて、計算を始めた時点にまで戻してやると、エネルギーは一切使われなかったことになる。これが実現できれば、エネルギーを必要とせず、熱を発することもなく計算を行うコンピュータができる。このことが驚くべきことなのは、エネルギーを使わなくても済むかもしれないということより、計算を逆向きに行うと、エネルギーが「使われなかったことになる」というところではないか。これはつまり、コンピュータという限られた系のなかで時間が逆向きに進んだということではないか。
(1)情報と物とは区別できない、つまり境界がない。(2)あらゆる不可逆的な論理演算は、可逆的な論理演算に置き換えることができる。(3)中間の情報をすべて保持し、計算終了後に計算を逆向きに行って最初に戻れば、エントロピーは放出されず、エネルギーは使われなかったことになる。この三つを宇宙全体にまで拡張して考えると(情報と物は区別がつかないのだから、そう考えることは可能であるはずだ)、この宇宙が終わった後に、この宇宙のアルゴリズムを逆向きに走らせれば、宇宙の始まりの状態に戻り、宇宙は始まらなかったことになる、と言えるのではないか。
神のような存在がとこかにいるとして、その神は、この宇宙の「計算結果」だけを確認した後に、この宇宙のすべてが最初から全く何もなかったことに出来る、ということになる。はじめからなかったのだから、消えることさえもない。
このことは、量子の弱値という概念を考えたY.アハラノフの言葉を思い出させる。彼は、宇宙には、始まりから終わりに向かって流れる時間と、終わりから始まりに向かって流れる時間があるとする。
≪量子系の状態は、「波動関数」と呼ばれる数式で記述される。量子系のある物理量を測定した時に、どの値がどんな確率で出てくるか、その分布の時間的な変化を表わすものだ。私は時間対称的な2つの境界条件、始状態と終状態を考え、量子系の現在の状態を2つの波動関数で記述できるようにした。1つは過去から現在への変化を示す波動関数、もう1つは未来から現在への変化を示す波動関数だ。それが始まりだった。≫(「日経サイエンス」201401)
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20131209