●昨日の日記は、「握手会事件」のことを考えて書いた(つまり、多くの「握手会」ではあのようなことは起こらないのだ、ということの方こそが重要なのではないか、と)のだけど、ぼくは、アイドルのこともアイドル商売のことも具体的には何も知らないので、ああいう書き方になった。
しかしそれだけではなく、例えば、犯罪や犯罪者を描くことで、つまり、「起こってしまった稀なこと」を描くことで、実際には「それが起こらなかった」数々の場面の潜在性(つまり、広く共有される「時代の深層」のようなもの)を「代表して」描き出すことが出来るのだ、というような形のフィクション(ノンフィクション)への懐疑ということでもある。そういうものがまったく無意味だとまでは思わないが、しかしそういう物語のもつ意味は極めて限定的なものであると思う。