●昨日の日記に書き忘れたのだが、昨日は寒かった。雨にも濡れたし、体感的にはこの冬一番の寒さだった。傘をさして外を歩いている時、とつぜん震えがとまらなくなって、なんだこれなんだこれなんだこれと思いながら、コートのフードをかぶって、顔から血の気が引いてゆくのを感じつつ、一番近いコンビニまで急いで、暖をとった。
クローズアップ現代で、技術的失業とベーシックインカムというような特集をやっていた(タイトルは「“仕事がない世界”がやってくる!?」だけど、実質的な内容はそうだ)。ようやくNHKの地上波ゴールデンでもこのような話題がとりあげられるようになったのか、と思った。もしかすると井上智洋さんがゲストで出るのか、とも思ったけど、違う人だった。喋っている内容はほぼ井上さんの主張と同じ感じだった。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3782_all.html
技術的失業の話とベーシックインカムの話はセットになっている必要があると思う。まず、技術進歩による生産性の向上がないと、ベーシックインカムという話に現実性がなくなってしまうということが一つある。
あともう一つ。最近、人工知能ディープラーニングの社会的インパクトがすごくて(アルファ碁のインパクトもあるし)、20年後には半数の人の仕事がなくなるみたいな話がいろんなところでなされているけど、その時いつも、どんな仕事ならなくならないか、どうすれば「仕事のある側」に回れるのかという話ばかりで、それはおかしいのではないかといつも感じる。仮に、もし自分がその時に条件のよい仕事のある側にあったとしても、半数の人の仕事が無いような社会にいて、心安らかに暮らせると思っているのだろうかと疑問に思う。そんなだと、社会も人間関係も、すごく嫌な感じになっているはずだし。その時に訪れるであろう、地獄のように嫌な感じをどう回避するのかということを、まず最初に考えるべきではないかと思う。で、そこで考えられることの一つとしてベーシックインカムがある。だから、技術進歩-技術的失業-ベーシックインカムはセットになった三題噺だろう。
(ただ、おそらく日本のさしあたっての大きな問題は、現象として逆向きである少子高齢化による労働力不足の方であろうから、技術進歩による人手不足の解消はむしろ積極的なものとして捉えられ、この問題はいったん忘却されてしまう可能性もあるけど。)
(とはいえ、長期的には問題はありつづけるし、短期的にも上手く相殺されるとは限らない。過疎化、高齢化が進む地方では、例えば車の自動運転はとても必要性の高い技術だろう。でも、それが実現すると都市部でも多くのタクシー乗務員が失業してしまうだろう。宇野常寛が編集した『資本主義こそが究極の革命である』という本で川鍋一朗というタクシー会社の社長がインタビューにこたえていて、タクシー乗務員は全国に約四十万人いて、多くの人が他にいくところのなかった人で、タクシー業界は社会の重要なセイフティーネットになっている、だから知恵を絞って業界を守らなければいけないと発言しているが、車の自動運転という必要な技術は、そういう人たちの失業とひきかえに実現される。)
前にも何度か書いたけど、おにぎりが一つしかなくて、お腹を空かせた人が五人もいるという状況の社会では、みんなでがんばって努力して生産性を上げる必要があるけど、そうではなく、既におにぎりは充分にあり、おにぎりをつくる人も、おにぎりづくりの技術革新を担う人も足りている時に、お腹を空かせた五人には「お金」がないのでおにぎりにアクセスできないという状況の社会では、そうではない。「働かざる者食うべからず」という価値観は、前者の社会に適合する価値観であって、後者の社会では多くの人を不幸にすると思う。
資本主義が、その発展によって、徐々に「生活保護」「社会保険」「雇用創出」という概念を生み出してきたという歴史があり、その流れの先にあるものが「ベーシックインカム」だと考えることも出来る、と番組では述べられていた。ベーシックインカムの可能性は、資本主義の発展の最新の成果だとも考えられる、と。
下のリンクは過去の日記。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20131212
ベーシックインカムを実現するとなると、どうしたって大幅な増税(累進課税の強化)は避けられないはずで、それによって大きな影響を受けるのは資本家だけでなく、バリバリに働いて沢山稼いでいるエリートとか、ギラギラの野心をもった起業家のような人たちだと思うのだけど、そういう人たちがどう考えるのかを知りたい。