●『建築と日常』の長島さんと、qpさんと三人で、石上純也設計の神奈川工科大学KAIT工房と、アミューあつぎ屋内広場solaを見学した。
KAIT工房では、ガラス張りの広いワンフロアを、森の木々のようにランダムに配置されている(ように見える)三百本以上の細い柱がゆるく分節化しているというか、空間の濃淡のようなものをつくっていて、ある程度それに沿うような形で、モノづくりのための様々な工具が配置されている。平べったかったり、四角かったり、一本一本ことなる形状の柱は、みんな細くて、白く着色されていることから、構造を支えているという感じは希薄で、むしろ上から降ってくる光のように感じられる。だから柱は、森を構成する木々というより木漏れ日のようで、木がないのに木漏れ日だけがあるというような、不思議な浮遊感が生じる。
木がないのに木漏れ日だけがあるというような、線が細いというか、建物そのものが自らの存在感を出来得る限り軽くしようと努めている空間のなかに、物を作るための、非常に重量感のある装置や工具、雑駁感を醸し出す段ボール箱やロッカーやブルーシートなどが置かれている。その配置は、ある程度は柱の配置に従う形で行われ、ある程度は使用者の裁量に任せられる形で決定していると思われる。空間的な濃淡の配置や、ある程度の動線は柱の配置がつくり、その空間の具体的な性格づけは、その使用者が行うという感じなのだろう。
天上の高さは、通常のフロアより高めだが、特に「高さ」を強調するほどに高くはなくて、ワンフロアの広さに対して、圧迫感がないというか、天井の存在をそれぼとく欲感じなくてすむ高さになっているのだと思われる。
全面ガラス張りなので、建物内部にいる時は、建物そのものが外の風景をフレーミングする装置のように働き、外へのひろがりを強く意識させるのだけど、外から見ると(内と外とではどうしても外の方が明るいので、ガラス面は透過的であるというより、ハーフミラーのような状態になる)、閉ざされた水槽のように見える。しかしこの関係は、周囲が暗くなると逆転するのだろうと思われ、そこも面白いかなあ、と。内と外との明るさのバランスによって、内と外との関係の様々な表情があり得るのだろう。
●アミューあつぎ屋内広場solaは、ぼくが子供だったら、ここにきて遊びたいと思うだろうなあ、という空間だった。厚木市は、こういう施設をつくって、えらいなあ、と。