●今、利部志穂さんの展示が行われている。しかも、横浜だから割と近い。だが、時間的にも、頭の中的にも余裕がなく、観に行けるかどうか微妙だ。とても観たいのだが…。展示期間の最後の方になんとか時間を作れるか、作れないか、というところか。
利部志穂個展「Piazza del Paradiso」アズマテイプロジェクト
http://www.junazumatei.net/pg113.html
●利部さんの作品をはじめて観たときは衝撃的に面白いと思った。もう十二年も前、2007年のことだった。
https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/20070317
●それから、2013年のアーティストファイルでの作品はすばらしかった。
《作品があって観客がそれを観るのではなく、作品の一部と観客の一部とが連結することで作品が作動し、作品の作動によって「観客」を形作っていた諸関係が切断され、バラバラになった観客がバラバラに作動する作品の諸要素のなかを循環し、バラされた観客はそのなかでまた勝手に切り離されたり、繋ぎ合わされたりする。だから、作品を通過した観客はまるで合い挽き肉のような、半分別物が混ざった再編成体になっているだろう。》
https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/20130311
●2011年の、府中市美術館で行われた公開制作については、東京新聞にレビューを書いた。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kokai/kokaiitiran/kagabu.html
「東京新聞」2011年1月7日づけ、夕刊。
《府中市美術館にはアーティストの制作の過程を見せるという企画があり、現在、81年生まれの注目の作家、利部志穂の制作が見られる。制作は公開制作室で二月二十七日まで断続的に行われ、完成された作品は三月九日まで展示される。
利部の作品には様々な素材が使われる。建築廃材や解体された電気製品、針金、鉄柱、木切れ、枯れた植物、布、合板、電球や蛍光灯、等々。生活のなかで集められたそれらが、日常的な意味や機能から切り離され、解体された上で、意外な物同士が組み合わせられる。未知の文法で組み立てられた物体は、例えば「スフィンクス」や「ウナギイヌ」のようにユニークで、詩的な韻律や飛躍を持ち、単体でもオブジェや彫刻として鑑賞に耐える。しかし利部の真のユニークさは、それらの個物たちが独自の世界を形作るように展示空間内で互いに緊密に関係づけられて置かれる点にある。
だがそれは、あらかじめ作者が持つイメージを表現するために素材を構成するというのとは違うようだ。雑多とも言える素材の一つ一つを吟味し、一見、何の関係もないように見える物たちから、見慣れた秩序に覆い隠されて見えない別の関係性を丁寧に探り出し、パズルのピースを並べるように手さぐりで繋げてゆく過程を経ることで、その結果として浮かび上がる世界の姿なのだ。素材と素材の関係が探られて一つのピースが作られ、さらに、ピースとピース、ピースと空間の関係が探究される。あるいは逆に、空間から素材同士の関係が規定される。その結果作品には、一望ではとても読み切ることのできない複雑な関係のネットワークが張り巡らされる。
このことは、制作過程を見ているとよく分かる。作家は、集中して作業をしているかと思うととつぜん中断し、別の作業をし始めてしまう。一つの遊びにすぐ飽きて他へ目移りする子供のように散漫にも見える。しかし、散らかった細部の間にふと関係が見出されると、その瞬間、劇的に秩序が立ち上がり、空間が動く。おそらくこの発見の積み重ねが制作なのだ。
鑑賞する側も同様で、細部のユニークさに導かれるうちに、ふいに、埋め込まれた意外な関係に気付かされる。この手さぐりと気付きの楽しさが魅力だ。》