2022/01/17

●お知らせ。去年の11月25日に行った、佐々木敦さんの最初の小説『半睡』についてのトークイベント「はじめての小説と「小説」の終わり ー『半睡』と、その他の話ー」のアーカイブ映像の試聴チケットがSCOOLから販売されました。登壇者は、佐々木敦、山本浩貴、古谷利裕の三人です。

scool.stores.jp

『半睡』(佐々木敦)について

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2021/11/16/000000

「無断と土」(鈴木一平+山本浩貴)について

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2021/11/13/000000

「pot hole(楽器のような音)」(山本浩貴)について

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2021/11/15/000000

●(昨日のつづき)『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(ケリー・ライカート)で、ダムの爆破を実行する人物の思想的背景は語られない。しかしそれは、文字通り「背景」によって語られる、とも言える。

画面に映っている風景、そのなかにある農業コミューンのような場で生活するジェシー・アイゼンバーグ。スパというよりも、自然主義的な温泉療法をする場所のように見える店で働くダコタ・ファニングジェシー・アイゼンバーグダコタ・ファニングが車で移動中に道路に鹿の死体を発見し、それを道路から外に移動させると、その死体が谷底へと擦り落ちていく音が聞こえる。そしてその音は、驚くほど長くつづく。夜の場面で、まわりは真っ暗で道路の外は何も見えないが、その音の持続時間が、谷の深さと、この映画が背景にもつ空間の大きさを感じさせる(車での移動時間の長さからも、それは感じられる)。そのような場所で生きる人たちが、ダムやゴルフ場の建設に対して敵意をもつことは自然に理解出来る。そして、このような広大な空間を背景に生きる人にとって、ダムを一つ破壊するという程度のことは、とても(物理的なスケールからみても、世界に与える影響からみても)小さな破壊でしかなく、デモンストレーション程度の影響しか与えないだろうと考えるのも自然なことだと納得する。

しかしそれが、一人の命を奪ってしまうという大きな出来事に繋がってしまう。ダム破壊という(物理的なサイズは大きいが)小さな出来事が、(物理的なサイズは小さいが)人の死という大きな出来事を招いてしまった。大きなスケールの空間のなかで、空間的スケールでは測れない種類の大きな出来事が起きてしまった。

おそらく、この捻れたスケールの失調感が、この映画の前半から後半になって起る違和感のある転調の原因(理由)なのだと考えると、少し腑に落ちるように思える。後半は、物理的なスケールでは測れない空間のなかで起る出来事ということだろう。