●柄沢祐輔さんが亡くなったことを知る。なんというのか、あの柄沢さんがもういないのだという事実をうまく受け止められない。
柄沢さんとはじめてお会いしたのは、清水高志さんのお誘いで参加した中沢新一『フィロソフィア・ヤポ二カ』の読書会だったと思う(日本女子大学の近藤光博さんが主催していた)。この日記で調べると2011年の11月のことだ。当時まだ構想段階だった「s-house」のイメージ図を見せてもらった。その後も続けられた中沢新一読書会や、西川アサキさんが主催する勉強会などで、2010年代前半はかなり頻繁に会っていた(読書会の後のいつもの目白の中華料理店の光景、勉強会の後のいつもの早稲田の焼き肉屋の光景も思い出される)。
2012年の4月、吉祥寺の「百年」で西川アサキさん、金子遊さんとイベントをやった時に聴きに来てくれていて、その後の、駅前の居酒屋で延々七時間近くつづいた(自分のなかで伝説の一夜となっている)打ち上げの場にもいた。別に酔って騒いでいたのではなく(柄沢さんは酒を飲まない)、七時間ずっと刺激的な話がつづいた。
2010年代後半も、ステム・メタフィジック研究会など勉強会で度々ご一緒した。VECTIONの初期メンバーでもあった。確か2017年、アンスティチュ・フランセでの鼎談の時だったと記憶しているが(別の時だったかもしれない)、打ち上げの後、電車がなくなってしまい、柄沢さんの自宅兼事務所に一度だけ泊めていただいたことがあった。柄沢さんのうちの風呂に入った。柄沢さんは、井上実さんの作品をとても気に入っていて、最近では、井上さんを介して会うということが多かったと思う。2019年の5月に、名古屋のSee Saw gallery + hibitで行われた井上実展のオープニングトークでご一緒したその翌日に、柄沢夫妻、井上夫妻と熱田神宮を観てまわり、ひつまぶしを食べた(人生で唯一の、飲食店で並んで待った経験)。同じ年の9月に、柄沢さん、井上さんと三人で、京都の浄土複合にお邪魔し、その時に敢行された、柄沢さんのセレクトとガイドによる(体力的にかなりハードだった)小堀遠州を巡るミニツアーで経験したことは忘れないと思う。
(9月でまだ暑く、歩き疲れてくたくたになりながらも、桂離宮や圓徳院の北庭に圧倒され、南禅寺金地院の鶴亀の庭園でものすごい雷雨にあったこと、高台寺の屋外に置かれた傘亭と時雨亭の荒廃ぶりから人新世について話したこと、など。)
小堀遠州ミニツアー(二日目)の時の日記
https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2019/09/05/000000
●亡くなる直前まで準備をしていたという下のイベントには、遺されたパワポの資料と音声データで参加するそうです。
三田芸術学会×KeMCo シンポジウム「感覚の拡張と新しい美学」