2022/03/26

●『空に住む』(青山真治)をU-NEXTで観た。とてもよかった。青山真治の映画を、最後まで反感を抱かずに観られたのは『WiLd LIFe』以来かもしれない(それは良いことなのか悪いことなのか…)。亡くなったのを知って観たことによるバイアスもあるかもしれないが。

イケメン俳優(岩田剛典)の部分が弱い(特に、いきなりオムライスを作らせるのはどうかと思った、というか、この人はただたんに多部未華子の心を乱すためだけに存在するのか、それとも、この人自身の実存---面白味---のようなものがあるのか、どちらか分からず中途半端に思われた)とはいえ、基本的には、猫の死をおくる映画であり、多部未華子岸井ゆきののバディーもの(バディーとは言わないのか? シスターフッド?)だと考えればいいのだと思う。

岸井ゆきのの演技のヤバさが半端ではない---顔がヤバい---のだが、多部未華子も全然負けてはいない。最初は、多部未華子というより岸井ゆきのの方が強い映画なのではないかとさえ感じるのだが、多部未華子の抑え気味だが常に危ういゆらぎが映画の進行とともに次第にじわじわ強くくるようになる。ああ、この人は本当にいちいち面倒くさい人なのだな、と、じわじわくる。多部未華子は、名前とぼんやりした顔のイメージを知っているくらいだったのだが、抑制的でなおかつエキセントリックな感じが出せる、すごい俳優だなと思った。方向性が違うというだけで二人ともヤバい感じが静かにみなぎっていて、この二人の仲が良いというのがとても良い。この二人の関係だけでもこの映画は充分に良い。

ただ、この映画で最も孤独な女性はおそらく叔父の妻---美村里江---であり、彼女こそがマンションに移り住んできた多部未華子とバディーとなることを期待していたのだと思われる。しかし美村は距離の詰め方を誤り、多部は残酷に関係を閉ざすので、彼女は孤独なまま放置される。美村を、ただのうっとうしい叔母さんにせずに、彼女の孤独をきちんと描いているところがよいと思う。

この映画は、多部未華子岸井ゆきの美村里江の映画で、男性の影は薄い。ひたすら男臭い映画をつくりつづけてきたという印象の青山真治が、最後にこういうところに行き着いたことに心を動かされるものがあった。

(この映画では、タワーマンションと職場との「間」の空間が「階段」しかなく、そしてこの階段は基本的に多部未華子だけの空間なのだ。タワマンの部屋には叔父夫婦が勝手に入り込んでくるので、彼女だけの空間は階段しかない。しかし、そこに唯一入り込む資格があるのが岸井ゆきのなのだ。)

(大森南朋が部屋につめて仕事をしていると、そこへふらっと社長がやってきて、ただ「女の子」とだけ告げて去る。この場面がとてもよかった。実は社長はすべてを知った上で黙って見守っているのだということが、さらっと軽く示される。また、欺せていると思っているのは岸井ゆきのだけで、実は---婚約者も含めて---みんな知っていて許しているのでは? ということが匂わされる。)

(『月の沙漠』の柏原収史といい、『こおろぎ』の安藤政信といい、『空に住む』の岩田剛典といい、青山真治の映画に出てくる若手イケメン俳優はみんな、黒いレザーのジャケットに黒い細身のパンツをはいているという印象がある。)

●とはいえ、この映画を賞賛することが良いことなのだろうかという迷いはある。青山真治の才能や力量が、こんなにつまらない企画を「救う」ために使われてしまう、というようなこと(優れた作家が、お仕着せの企画でしか作品をつくれない状況)を容認してよいのか、と。多部未華子岸井ゆきののようなすぐれた俳優が、青山真治と仕事をするのならば、もっと野心的な企画でなされるべきではなかったか、と。

●追記。こんなのが出てきた。96年、『Helpless』劇場公開時のパンフレット。『Helpless』はほんとに大好きで何度観たことか。

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