2023/09/15

⚫︎アマゾンのプライムビデオで『こどもが映画をつくるとき』(井口奈己)が観られるようになっている。ぼくは、ある人のおかげで観ることができたが、なかなか観られない映画だったので、これは貴重な機会だと思う。以下は、この映画の感想。

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上の感想にも書いたが、ぼくはキアロスタミが(すごいということは認めつつ)苦手で、特に子供がメインの映画が苦手だ。『そして人生はつづく』はまだいいのだが、『友だちのうちはどこ?』はちょっと耐え難くて、90年代にはじめて観たとき、途中で映画館から出たいという思いをかなり我慢して最後まで観たというくらいだ。子供に対する大人たちの抑圧感がキツすぎて辛くなる。おそらくそれは、一見、子供たちの生き生きした姿を捉えている風で、実は、その「生き生きした姿」が、大人たちの子供たちに対する強い支配と制御のなかで作られているからではないかと思う。
『こどもが映画をつくるとき』はその全く逆の姿勢で作られていて、上の感想では「人格の全裸状態」と書いているが、子供たちの一人一人が「このようにあってしまう」ことが出来る限り(もちろん「出来る限り」であり限界はあるとしても)尊重され、「そうであることに任せ」ているように見える。しかしただ「ありのままでいれば良い」というわけではなく、そこに、時間内に共同して映画を一本完成させるというミッションが課せられている。「時間内に映画を完成させる」という限定条件と「それぞれの子供が、それぞれのままである」という前提条件とを、映画を作る実践の中で両立させようとする。その、果てしなく骨の折れる、繊細さと鷹揚さと粘り強さが要求される行為の記録がこの映画だ。
(キアロスタミが子供たちを制御しているように、この映画の「おーちゃん」や「ふかちゃん」も制御しているのだが、そのやり方がおそらく全然違うのだと思われる。)
それを観ながら、作品を作るということは、このめんどくささから決して逃げてはいけないということなのだなあと思い、そのめんどくささの中からしか生まれない解放感があるのだなあと思う。