⚫︎RYOZAN PARK巣鴨で、連続講座「未だ充分に尽くされていない「近代絵画」の可能性について(おさらいとみらい)」の第一回「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」。質疑応答も含めて三時間半くらいになった。自分のことを考えると、人の話を座って聞いているのは二時間くらいが限度な感じなのだが、聞きにきてくれた人たちは大丈夫たっだだろうか。あと、いつも思うのだが、もうちょっと落ち着いて話せないものか、と。
次回は、3月23日に「虚の透明性/実の透明性」を魔改造する、というテーマでやります。「虚の透明性/実の透明性」という概念は、コーリン・ロウとロバート・スラツキイによって書かれた「透明性―虚と実」という論文で提示された概念で、これについては論文の内容と共に詳しく説明する予定なので前提知識は必要ないです。建築についての論文ですが、「虚の透明性/実の透明性」という概念は、建築に限らず近代芸術全般に見出すことのできる重要な特徴だと考えています。さらに、近代芸術に限らず、(魔改造することで)現在の、それも美術に限らない多様な作品について考えるときに、いまなお有効な概念だと思っています。
今回は、ピカソとマティスを中心に、近代絵画についてマニアックに掘っていくような内容でしたが、次回は、「虚の透明性/実の透明性」という概念を再検討しつつ、近代絵画や近代建築だけでなく、現在の、さまざまなジャンルの作品についても考えていくことになると思います。
「透明性―虚と実」は、1950年代半ばに書かれ、1963年に発表された論文ですが、近い時期(1958-1959年)に、クレメント・グリーンバーグは「コラージュ」というとても重要なテキストを書いています。これは主に、ブラックのパピエ・コレ作品について書かれたもので、今回の内容とも深く関わっていたのですが、「透明性―虚と実」ととても近い考えを示しているとも読めますし、対照的であるとも読めます。次回はまず、この二つのテキストを比較していくことから始めようと、現時点では考えています。