2024/07/03

⚫︎宮藤官九郎脚本の新しいドラマ、『新宿野戦病院』の一話ががすごく面白かった。

映画やドラマに出ている時の小池栄子はほとんど常に素晴らしいのだが、そして、このドラマは小池栄子の「この演技」があってこそ成立するものだと思うけど、そうだとして、脚本を書いている時点で彼女の役が「このように演じられること」がどの程度まで想定されているものなのだろうか。あらかじめ小池栄子が演じることが前提のアテ書きだとしても、例えば「書かれたセリフ」が実際に「このように演じられること」は、どのくらい事前にイメージできるものなのだろう。どれくらい具体的なイメージを伴ってセリフが書かれているのだろうか(脚本家から、演出や俳優陣に対して何かしら具体的な要請や指導があったのだろうか、とか)。それとも、「この演技」は、演出家と小池栄子との協働で、撮影という段階で新たに生み出されたもので、脚本家にとっても想定を超えるものだったのだろうか。そういうことを考えないわけにはいかないくらいに、このドラマは、その核となる部分が小池栄子の「この演技」によって作り出され、決定されていると思われた。

⚫︎「社会派」と「紋切り型」はほとんど同じものの裏表だと言えて、しかしコメディとしてのキレと飛躍によって、社会派=紋切り型であることの退屈さが消え、批評性さえ帯びることになる。でもそれは、コメディとしてのキレがすこしでも鈍ると、瞬く間に陳腐な紋切り型に堕してしまうという危険とキワキワにある。そのような意味で、観ていてとてもスリリングだ。

⚫︎エンディング曲のサザンオールスターズのサザンでしかあり得ない絶妙なダサさがドラマにピッタリ合っている。