2024-08-30

⚫︎台風の影響がやばい。今のところ家は大丈夫だが、アトリエの近くの川が氾濫したみたいで、(ネットにあがっているニュース映像を観ると)場所によってはとても酷いことになっている。山の近くでは土砂崩れも起きているようだ。近所を車で流しながら撮った動画をYouTubeにあげている人がいて、それを見ると、けっこう近くまで水が迫っているが、アトリエのあたりはギリギリ大丈夫のようだった。だが、それはあくまで動画が撮られた時点でとは、いうことだ。家の近くの川も、もう容量いっぱいいっぱいな感じ。市としては、観測史上最大の雨量らしいが、まだしばらく雨は続く。

(家にいると、ときどき雨が激しく降ってくるが、しばらくすると上がる、ということの繰り返しで、そんなにすごい雨量という実感がないのだが。)

追記。↓氾濫してしまったアトリエ近くの川の水位の推移(YAHOO ! JAPAM 天気・災害)。

↓家の近くの川の水位の推移(同上)。午前8時くらいがやばかった。

⚫︎27日の「水性」でのトークイベント「セザンヌの犬』では何が起こっているのか?」で山本浩貴さんが、ぼくの小説の特徴の一つとして、事前に基底としての世界(空間)があるのではなく、人物や事物の動きや関心によって、その都度新たに空間をローディングしていくような感じ、というのを挙げていた。例えば、「道の先」と書かれるまで、その道に「先」はなく、しかしそう書かれた途端、探索することが可能な空間としての「道の先」が開かれる。

で、そういう書き方をするにあたって、自分がおそらく影響を受けたのではないかと思われる作品を一つ思い出した。冨永昌敬監督の短編連作映画『亀虫』、特にその一作目の「亀虫の兄弟」だ。2002年から2003年に作られた映画なのでもう20年以上前だが、初めて観た当時、とても衝撃を受けた。

5篇からなる連作なのだが、おそらく「連作」としての全体の構想は事前にはなく、まず一作目が作られて、それに対して二作目が付け足され…、というように、前から順番に、その都度一つずつ構想が足されて作られていく、そういう作り方でなければ決して成り立たないような、予想外で、凸凹で、行き当たりばったりな展開を見せる。そういう形での創作の実践を、ぼくはおそらくこの作品で初めてはっきりと意識したのだったと思う。

(追記。いや、そうではなく、80年代初めに『雨の木を聴く女たち』を読んだ頃から、そのような傾向に対する好みはおそらくずっとあったはずだった。)

そのことにも強く影響を受けたのだが、それだけでなく、特に一作目が衝撃的だった。

亀虫の兄弟」は主人公の男の一人称的な過剰なナレーションと共にコメディとして進行する。男が駐車場に車を停め、自宅であるマンションの一室に帰ってくる場面から始まる。男は、妻との喧嘩で家出しており、何日かぶりに家に戻る(家は妻名義のマンション)。車の中からずっと、男は妻に対して「言ってやろう」と思っている攻撃の言葉を独り言のように口にして「練習」している。戻ると妻は不在であり、男は部屋でも、妻への攻撃の言葉をノートに書き、言い返してくる妻の言葉も想定し、攻防をシミュレーションする。そこへ突然、「胡散臭くてウザい後輩」みたいな人物が地元からわざわざ訪ねてくる。何しに来たのかと問うても「出張だ」とか言ってはぐらかすばかりで要領をえない。そのままジリジリ夜になる。後輩は「お母さんから住所を聞いた」「お母さんから届け物がある」と、男の母のことを気安く「お母さん」と呼ぶ(これが伏線)。男は苛立って後輩を蹴ったりする。ついに後輩は、実は(男の)お姉さんと結婚することになった、と言う。「今度からお兄ちゃんと呼んでもらおうか」と。

ここで後輩が、男の母からの届け物を電子レンジで温めようとする。するとブレーカーが落ちてパッと暗くなる。その瞬間、「ああっ」という不在のはずの妻の声が聞こえる。実は、本棚の後ろに扉が一つ隠されていて、その先に妻の隠し部屋があったのだった。1LDKだと思っていたマンションは2LDKだった、と(男はそのことを知らないままずっと住んでいた)。

このオチがぼくには衝撃的だった。今まで「この世界」に存在していなかった空間が、世界の中に唐突に一つ付け加えられた。世界の基底が揺らいだというか、図ではなく地そのものの構造が変化した、という感覚。あらかじめ「実は2LDKだった」という「謎」が仕組まれていたのではなく、その時点までは存在していなかった「妻の隠し部屋」が、最後の場面で(無から)いきなり現れた、と感じられた。大きな屋敷に隠し部屋があっても何も驚かないが(「大きな屋敷」には「隠し部屋」の可能性があらかじめ含まれている)、ありふれた、規定通りの、狭いマンションの一室だからこそ、そこにに「今までなかった空間」が付け加えられるなどまったく想定外だったということも大きい。「たった今、世界が再編成された」かのような驚きがあった。

(この感覚はそのまま、今まで存在していたはずのもの、たとえば「過去」が、いきなり「初めからなかったこと」になってしまった、という感覚にも転じる。)

この感覚を、なんとか自分の作品の中で実現できないかと、ずっと考えていたのだった。