2024-09-20

⚫︎土屋創太「穿孔性の動物」(「道草だけどレボリューション」所収)、ようやく読めた。話者が、家から海岸まで歩いていく様が、取り止めのない感じで描かれ、このままいくのか思いきや、最後に謎の盛り上がりがあって、「おおっ」と思う。そして割りと綺麗に収束する感じ。普通にいい小説を読んだという読後感。以下、ネタバレしまくりです。

収束するといっても、伏線が回収されるとかではなく(いや、伏線の回収もあるのだが)、一人語りの現在の描写と、回想(正しくは回想ではなく「現在」であり「視点の移動」なのだが、視点の移動が半ば回想的な役割を担う)が並列的に配置されていくのだが、最後に、現在=話者=描写と、半他者かつ半回想(半自己)の役割を持つ「別の視点」とがバチッとぶつかる感じが鮮やかだった(《赤いのが双子と付き合ってたよ。/ マジか ! 》)。

空間的な移動によって話者からずれ込む「別の視点」の語りが半ば回想化して「話者の過去」に入り込んでくるという運動が、冒頭から様々なあり方で反復されていく。たとえば、話者が家にいて、隣家から風呂に入る音や匂いが伝わってくるところ。

《それは隣家の新しい方からも聞こえていた。シャンプーの甘い匂いが二階の窓まで立ち上がってくる。食べられそうな甘い匂い。家族が入れ替わりに入浴する。子供が小さかった時は、お父さんお母さんと一緒に入っていたのだと思う。それも聞こえたことがあった。早く出ようとするともう少し浸かって行きなさいと言い、湯に持ち込んだソフビの人形遊びが白熱していつまでも入っていると、手がしわしわになるよと出ることを急かされていた。たまにはおじいちゃんと入るか ? とおじいちゃんが言って、おばあちゃんは絶対最後に入るのでおばあちゃんと入ることはなかったが、もっと小さかった時にタライにはったお湯で体を洗ってくれたのはおばあちゃんだったのではないか。》

音・匂いという直接的な感覚・知覚から、隣家の様子の推測に移行し、そこからシームレスに視点(主体)が「推測される対象」の方へと移行していくのだが、その移行先の視点の記述が、そのまま話者の回想のような色彩を帯びてくる。空間的な移動が、半ば時間的な遡行のような効果を持つことになる。

あるいは、話者が海へと向かう途中の川沿いの道で、下校途中の中学生と出くわすところ。

《体育着の青い半ズボンから出たそれぞれの膝が屈伸して、膝から先が前に進んで地面を掴む。学校指定の白いスニーカーがすぐ白くなくなる、すり減る、太ももの筋肉が血を循環している。肉体以外は全て指定のもので、蛍光がかった発色の上下ブルーのジャージなど学校指定されなければ二度と着ることはないと思っている。インナーはズボンにインするように ! 服装の乱れは何とやら、だ ! 前髪が長いぞ ! 簾かお前の髪は ! 土日で、ちゃんと切って来い。教師の注意をイチャモンに感じるだろう。もう髭が生えるのだし、(…)彼らもすぐに教師の年齢になって思い出す。あんなくだらない注意、言いたくて毎日毎日言うだろうか、言わされていたんじゃないのか、教師の発言も外から指定されていたんじゃないだろうか、いや、そういうことを言いたくてしょうがないて言う人もいるよ。》

ここでは、視覚(知覚)から推測に移行し、推測→視点移動→回想とずれ込み、さらに学生時代の回想は、話者が近い過去に交わしたかもしれないような会話までを響かせる。このような書き方が、たんに回想シーンを挿入するだけなのとちがうのは、知覚(知覚主体)・他者(と風景)・過去(1)・過去(2)という四つの層が、いま・ここというひろがりの中に混じり合って存在しているという形になっていることだろう。何かを見て、何かを思い出すのではなく、それらすべてが「ここ」に散らばってある。話者はその様を拾い上げる。

だが、この視点の移動は、必ずしも「話者の回想」に綺麗に回収されるわけではなく、回想みを帯びつつも他者性も確保されている。例えばブルドックの視点。

《ブルドックの上下に揺れる視界の、遠巻きに見えている四人の男子生徒は、二人で帰っている時は俯きがちに小さい声で異性の話をするのだが、四人になった途端に声が大きくなり、小学生と変わらぬ遊びの話題になる、草をちぎって歩く。ブルドックには、蛍光発色の青が視認しやすく、部活帰りの中学生のジャージの色が数時間前の青空の色と似た色に見えていた。同じ色じゃん、と思った。数時間前の空を着ている奴らだ、という思考が目の前を掠めた。》

ここでも、《四人の男子生徒》は、ブルドックの知覚対象でもあり、話者の知覚対象でもあり、そして話者の過去でもある。そして、《数時間前の空を着ている奴らだ、という思考》は、ブルドックの知覚・思考を媒介とすることで初めて話者の思考にもなる(犬の「視覚の弱さ」から導かれる思考であるから)。この「思考」は話者の感覚・知覚・思考には還元されない。

話者の歩行・空間移動は、その後も、その都度、知覚対象(風景・空間)から視点が他者へと移動し、「祭り」や「狸」を見出しながら進んでいき、海のすぐ近くにある《個人経営の自動車教習所》に行き当たる。ただしここでは例外的に、話者の知覚・感覚だけがあり、視点の移動も過去の出現もない。

《校舎と偽物の道路はぐるりと松に囲まれていてほとんど風が吹かない。昼に来ても車が走っているのを見た試しがなく、古いタクシーと同じ型の実習車両二台がただ後者の前に綺麗に並んでいる。》

ここまで読んできた者には、他者も過去も剥奪されたかのように孤立するこの「自動車教習所」の存在に強い印象を受ける。

ここまでがこの小説の「1」から「3」で、海岸までの道行だ。続く「4」で、サンダルを履いてこなかった後悔とサンダルへの関心が語られ、砂浜で裸足になって破傷風を気に掛けながら他人の足跡を追い、途中で諦める。そしてその後の「5」が、この小説のクライマックスと言える。

「5」で話者は唐突に、《耳の形の平たい貝殻》を使って砂浜の砂を掘り始める。《ただただ掘るので目的がなく我に帰る隙がなく夢中で掘っている。》すると、暴走族がするような、バイクのエンジンを空ぶかしする「コール」の音が聞こえてくる。ここでも視点が「コールの練習をする人」に移動し、そしてこれもまた半分他者であるが、半ば話者の回想みを帯びる。幾分かは「わたし」である、誰でもない誰かのような感触だが、小説を通して読むと、この半自己・半他者はだんだんと成長してきているのだ。

《人を殴ったり、殴ったので殴られたり、急に殴られたので殴ったり、のしたりのされたりしたけど、どうも違うと思っていた。運動はうっかり辞めてしまったし、勉強は考える前から違うと思っていた。楽器は思いつきもしなかった。先輩が譲ってくれるという原付は改造してあるにしては九万は安いじゃん、と言われたので譲られることにした。払うのは卒業の来年でもいいし利子はつけないというのがいい条件だと思った。先輩は本当に利子を取らず最初の給料と次の給料で分けて払った。労働は嫌いではなかったので就職しても長く続いた。》

そうこうしているうちに、砂浜の穴は《一メートルに至らない》くらいの深さにまでなり、話者はその中に座って、月のクレーターに落ちて為すすべなく助けを待つ人を描いた漫画のことを思ったりする。ここは、視点の移動というより話者による想起だ。そしてここで、この小説で初めて、話者が他者から声をかけられる。《幾つもの赤いポリタンクを引きずりながら丘の上から》歩いてくる人に、《こんなにしたら、埋める時が大変だよなあ、なあ》と。

この人は、船を浮かべて沖で暮らしているという。ここまで一貫していわば「写実的」に描かれてきたこの小説に、異人のようなフィクション性の高い人物が現れた。そして、話者はこの人物には、視点移動しない。

灯台の正面の浜に上がっているのがその人の船だった。三艘のボートが板と紐で固定され横並びに接続されている。真ん中のボートが両端のボートよりも一・五倍ほど大きく、真ん中の船尾にモーターが付いている。上に渡されている板にはテントと幌が張られている。》

赤いポリタンクの多くは空で、船の浮力を増す目的だが、中には燃料の入ったポリタンクもあり、そのどちらも《個人経営の自動教習所》から盗んできたものらしい。だが話者は、この人物には視点移動しないので「盗んんだ」と確信はもてない。

《浮きになるものと燃料を調達しに浜へ上がってみて、歩いていたら都合よく教習所があり、どちらの用途も満たせたというわけだった。でも、その時を見ていないから盗んだとは言えない、その人がずっと沖にいるというのも見てはいない。》

この後、話者は初めて、(自動教習所の車のシートへと視点を移動させつつ)「自分の過去」についての回想を語り始める。中学時代の同級生の双子の女の子について。

《この双子は学校側の都合で同時に一つのクラスになることはなかった。クラスは二つしかないので同級生は三年間のうちで双子のどちらかが同じクラスだったことになります。》

《中学生特有の愚直な異性への興味の発露は異性を笑わせることに尽きますが、この二人は顔が良かったのでこの二人にウケるととても満足しました。》

《二人のうちの一人にはほとんどウケませんでした》、《一方で、もう一人は笑わせようと努めなくても自然と笑っているところがありました》。

《名前も思い出せず、実のところどんな顔をしていたかもあやしい。》

この話を継ぐように、今度は沖に住む人が《静かな海中を何十のライトが浜に向かって泳いで》いるのを見た、という話を始める。

《(…)船の上に出ると真下を光の列が通過していくところだった。この船を潜って避けたというわけだね。通過するとすぐに水面に浮上してきて、それがバイクだと分かった。あれは暴走族、というか、暴走族に憧れている集団だった。先頭を走る何台かは手の込んだ改造車両で(…)先頭車両の五人は特別らしくて色のついた制服を着ていたよ。赤、青、黄、白、桃、あれは代々受け継がれる学ランなんだ。けたたましくマフラーを鳴らしながら、海面を割って走って行ったのを見た。》

そしてここで二人の話(と言うか、今まで語られてきた諸回想たち)が唐突に接続され、誰の視点でもない、過去自身が自ら語っているような対話が鋭角的に現れる。ここがなんとも鮮やかだった。

《黄色いのにしょっちゅう殴られましたよ。殴り返したので遺恨はないですけど。 / それなら思い出したように言うなよ。 / 赤いのが双子と付き合ってたよ。 / マジか ! 》

ここを読んで「おおっ」と声が出た。他者の視点を通して語られつつも、話者の回想であるかのような感触を強く漂わせるが、しかしそれでも「話者の過去」には回収し切れない、半は親しく、半ば他者であるような記憶=過去の集積が、最後の最後に、「謎の他者」の介入と、鮮やかな対話の挿入によって、誰のものでもないそれ自体で自律しているかのような「過去」として、ピシッと芯が通り、鮮やかにたちあがるようだった。

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