●中沢新一の「映画としての宗教」の三回目(「群像」2007年5月号)を読んで、今、自分が考えていることとあまりにも近いので驚いた。中沢氏は、ドゥルーズやラカンという名前を出さず(ラカンは一度だけ出て来るけど、)、精神分析やポストモダン的な語彙や問題の構えを使ってなくて、人類学的な語彙で語っているのだが、その底にあるのは明らかに精神分析やポストモダンの思想(と、その乗り越え)で、つまり、人類学的な語彙や構えによって、それらの問題を大胆に立て直す、というのがモチーフであるように思う。(そもそも、イメージ論=映画として宗教を捉えることで、人類の思考の基本的な有り様を掴もうとするという着想そのものが、ドゥルーズの『シネマ』から来ているのじゃないかとさえ思える。)ぼくは今、『精神分析と現実界』(立木庸介)という本を読んでいるのだが、中沢氏の論考も、「想像界(+ちょっと象徴界)」と「現実界」という話だと言える。そして、精神分析や現代思想のめんどくさい語彙を排して、人類学的な構えで語ることで、それらの問題を、とても分り易く立て直すことにある程度成功しているように思う。ぼくは、7月2日と11日の日記で、中沢氏の言う、イメージの第1郡から第3郡までの分類を、精神分析的な発達の段階と重ねて考えてみたけど、そもそも、この分類それ自体、最初から精神分析が意識されたものだということが、連載の三回目を読んでわかった。
中沢氏はこの論考で基本的に、新石器的宗教(新石器的イメージ)を批判し、旧石器的宗教(旧石器的イメージ)に帰れ、という(単純といえばあまりに単純な)主張をしている。新石器的イメージとは、イメージが記号として定着して体系化されて、記号と記号との自律的な結びつきの運動によって、「意味」が産出されるようなイメージ。これは、テキストには外部がない、というようなポストモダン的なイメージであると同時に、(無意識的、自動的に)豊穣な意味(イメージ)を生産する多神教的なイメージのことだ。対して、旧石器的イメージとは、純粋な強度のみで表象が成り立たないか、成り立っても、それが定着しないので、イメージは自律せず、その場限りで浮かんでは消えて行く。つまり、記号が自己差異化による意味産出によって、それ自身としての自律した次元をもつことがない。それは常に認識することの出来ない宇宙的な振動(つまり現実界)に触れているもので、そこから、直接的(第1郡)、間接的(第2郡)に生み出されるイメージのことだ。(国家や資本主義は、イメージの第3郡から生まれるものなので、それを成立させず、第1郡、第2郡に還ることで、その「外」へ出られる、と。)この図式はとても分り易い。しかし、あまりに分り易いために、その元になっている現代思想の問題設定を知らない読者は、とても素朴な神秘主義的な思想として誤読してしまうような危険がつきまとっているのも事実だろう。(だが、ぼくがこの中沢氏の論考で最も共感するのは、人は、ホモサピエンスとなった時点からまったく進化していなくて、身体の組成も、脳の組成も、まったく変わっていないのだがら、そのような身体/脳によって導かれる人間の「思考」の有り様もまた、基本的にはまったく変わっていない(進化していない)はずだ、という態度だ。)
この論考(一回目から三回目)に対する、疑問をいくつか挙げておく。
(1)中沢氏は、イメージの第1郡を、宇宙的な強度が直接的に刻まれたものだとしている。それを導くのは、真っ暗な洞窟のなかでの視神経の自動励起によるランダムなイメージであると。しかし、ここで、視神経の自動励起によって人々に見られるイメージそのものは、(多少無理があっても)そう言ってもよいかもしれないが、それが洞窟に刻まれてしまった時点で、表象となっているのだし、持続性(自律性)を持ってしまっている。それが具象性や象徴性をもっていないとしても、なんらかの神秘的な感情の表象としてあり、そのような感情を意味し、それを再帰的に人に思い起こさせる効果のあるものである時点で、もう既に記号としての自律性が生まれてしまっている。
そして、ここであらわれているもの(純粋な強度)は、中沢氏によると、ホモサピエンスとなったことで得られた「流動的知性」そのものだ、ということになっている。中沢氏の論考の構えでゆくと、このイメージの第1郡は「現実界」の位置にある。(現実界そのものではないとしても、それに最も近い位置にある。)だとすると、現実界=流動的知性ということになってしまう。これはあまりに目的論っぽすぎるというか、精神分析が「開いた」ものを、物語として「閉じて」しまう。(精神分析的に言えば現実界は、外部のものを選択透過する諸器官そのもの、統一性を欠いたそれぞれバラバラな、享楽する身体諸部分ということになるだろうか。だからそこに「知性」という統一体はない。)
(2)この論考は、基本的に、「暗い洞窟のなかの出来事」が元になっている。つまりそこには、現実的(現実界ではない)な認知という次元がすっぽり抜けているように思う。純粋な強度としてのイメージが、イメージの第2郡において具体的な「牛」というイメージと結びつくのは、明るい昼間の時間に、実際に牛を見かけ、あるいは牛を狩猟対象として見ているからだろう。そしてその牛が、「肉(食料)」として、その人物に快楽を与え、また、狩猟の最中に死の危険という緊張を、その人物に与えることと無関係ではあり得ない。中沢氏の論考では、(身体の運動感覚と死の危険とを伴う)現実的な認知としてのイメージと、洞窟に刻まれて祭られる記号となったイメージとの関係についての考察が、すっぽりと抜け落ちている。(ただ、この点については、後続する部分で触れられるのかもしれない。)ぼくは、一番面白いのは、イメージの第1郡でも第3郡でもなく、無から有へと移行する、イメージの第2郡だと思うので、「昼」と「夜」との関係は、なによりも重要なものだと思うのだ。
(3)中沢氏によれば、イメージの第3郡によってひらかれたのが、多神教的(新石器的)宗教だということになる。そして、宇宙的な純粋な強度から切り離され、記号の次元でのみ豊穣な意味を生産する、そのような宗教(イメージ)の有り様に対する批判として、一神教があらわれた、とされる。しかし、一神教を可能にする超越的な一者は、多神教的な豊穣な意味生産する記号(想像界)を、さらに抽象化し体系化して、さらに自律性を高めた「言語(象徴界)」によってこそ可能になるはずだから、それは、多神教への批判ではありえても、中沢氏の言うような「旧石器へ還れ」ということとは繋がらない。むしろ、そこからさらに遠くなる。一神教的な砂漠の「貧しさ」は、なにものをも表象しない(無からはじまり無へと至る)、イメージの第1郡における「貧しさ」とは、根本的に異なるはずだ。このあたりの矛盾を、中沢氏の論考は明確にしないまま、この二つを曖昧に重ね合わせてしまっているように思われる。
ただ、一神教的な貧しさが、(例えば偶像崇拝の禁止などを通じて)それとは根本的に組成の異なるイメージの第1郡的な貧しさを、無関係なまま唐突に呼び寄せてしまうことがあり得る、ということは、感覚的には納得出来る。(それこそ、ブレッソンやドライヤーの映画なとから感じられる。)だからこそ、中沢氏にはこの部分をもっと突っ込んで欲しかったと思うのだ。
●全体としてこの論考は、話を分り易く、面白くしようとしすぎるために、イメージの第3郡を批判しつつも、この論考自体が、イメージの第3郡的な「お話」に近づいてしまうという危険があるようにも感じられた。