2021-07-04

タブレットを買ったので、はじめての電子書籍として、試しにドゥルーズの『フランシス・ベーコン 感覚の論理』を買ってみた。理由は簡単で、紙の本よりも四百円以上値段が安かったから。そのかわり、電子版にはベーコンの絵の図版がまったく入っていない。だが、半分はベーコンの画集と言えるような(大きくて重たくて分厚い)旧訳版をもっているので、図版はそれと付き合わせれば問題ない。新訳版のほうが旧訳版よりもずっと分かりやすい訳になっているだろうと思われるのに、新訳版を今まで買っていなかったのは、(旧訳版だけで本棚の場所を充分に広く占有してしまっているし)旧訳版があれば十分ではないかと思っていたからで、その意味でも「場所を占めない」電子版ならば買ってみようという考えもあった。

最初の「1 円、舞台」という章だけ、さらっと読んでみた。文字の組み方、レイアウトが紙の本とは根本的に違っていて、タブレットで読みやすいような形に整えられているので、思いの外読みやすかった(ページ数という、空間的限定を意識しなくていいので、文字の組み方に余裕がある)。ハイライトとして四色の傍線を引けて、傍線部分にはメモも残せるようになっているので、(四色ではぼくには足りないし、紙の本ほど自在にマークすることができるわけではないが)書き込みながら読むということが一応はできるので、ドゥルーズの文章でも、ちゃんと---紙の本と比べてこれといった困難を感じずに---読むことができた(訳文もかなりわかりやすくなっていた)。これは、思っていたよりかはいいのかもしれないと感じた。

(ただ、このKindleという仕組みの根本をアマゾンに押さえられているという感覚は、読みながらも時々感じられた。同じ本を読んでいる他の人たちが多く「ハイライトした」部分が「共有」されている(四人の人がこの部分をハイライトしました、という表示がでる)。そのこと自体は、同じ本を複数で読んでいる感じで、あるいは、買った古本に前に読んだ人によって線が引かれていたみたいな感じでもあって、面白いとも言えるのだが、その面白さ---共同性---の根本部分をアマゾンという巨大企業に握られているのだなあ、という、ちょっとした抵抗感は拭えない。)