2023/08/09

⚫︎はじめて自分のお小遣いで買ったアルバムはサザンオールスターズのファーストアルバムで(小学校五年生の時)、それから四枚目のアルバム(「ステレオ太陽族」)まではずっと大好きだったが、五枚目の「ヌードマン」を買って聴いた時、これは今まで自分が好きだったものとは違うと感じてしまい、それから急速にサザンオールスターズと疎遠になって、そもそもサザンを好きだった時があったという事実すら忘れてしまっているくらいに遠ざかってしまった、と、ここまでは話の前振り。

で、たまたまサザンオールスターズの「希望の轍」という曲を聴く機会があった。この曲をまったく知らないわけではなく、サビのメロディーくらいはなんとなく知っている。ただ、意識的に聴いたことはなく、ああ、あのよく耳にするメロディーは「希望の轍」という曲のサビなのか、と、「希望の轍」を聴いて改めて知ったという感じ。

で、ここからが言いたかったことだが、「希望の轍」のイントロを聴いてものすごく強烈な既聴感に襲われた。この曲自体には(ああ、聴いた覚えがある、と感じるサビの部分も含め)そこまで親しい感じはないのだが、イントロの部分だけ、すごく近く、すごく親しく、すごく頻繁に耳にしたような、ちょっと異様なくらいに「身近にある感覚」が立ち上がるのだった。びっくりするくらいに近くて遠近感がねじ曲がったような感じで、なんだこれすごく気持ち悪い、と思った。なんで「ここ」だけをそんなに身近に感じられるのかしばらく考えたのだが、気がつけばなんということもない。JR茅ヶ崎駅の電車の発車音がこれなのだ。それはそうか、茅ヶ崎だからな、と。とはいえ、電車の発射音は電車の発射音としてしか聴いていないので、頭の中で全く別のカテゴリに収まっているものが不意に結びついてしまったために、物事の認識空間がぐにゃっと歪んで、それで気持ちが悪かったのだと納得した。

(調べてみて、サビも茅ヶ崎駅では発射音に使われていると知った。上りホームがイントロで下りホームがサビ。だからサビに聴き覚えがあるのも駅で聴いたのだろう。しかし、サビの部分はサビの一部だしアレンジもされているのに対して、イントロのピアノのフレーズはほとんど「そのまんま」のコピーなので、サビはふんわりと聴いたことがある感じで、イントロはより直接的に距離なしでペタッと結びついてしまったのだろう。)