藤沢周『箱崎ジャンクション』(追記)

●昨日、藤沢周の『箱崎ジャンクション』について書いたけど、この小説は「文學界」に3年以上にわたって連載されたものだそうだ。昨日も書いたけど、この小説は、一つのモードというか、一定の気分がずっと持続しつづけるような小説で(その「気分」によってこの小説の色が決定されているような小説で)、つまり藤沢周は3年もの長い時間ずっと(少なくともこの小説を書いている時は)一定の気分を維持し、保持しつづけたということで、それはちょっと凄いことではないかと思った。もちろん、もっと長い時間にわたって一つの作品をつくりつづけるということはざらにあるだろう。だけど、『箱崎ジャンクション』という小説からは「書かれた時間の長さ」というものがあまり感じられないし、また、(無時間的な、時間を超えたものとしてある)構造やコンセプトのようなものが小説全体を制御しているともあまり思えず(勿論、この小説に構造がないということではないし、構造を分析すること自体はそんなに難しくはない)、あくまで(時間のなかで移ろいやすく、かつ把捉し難い)「気分」によって成り立っているようにみえるだけに、この3年という時間の長さは驚きなのだ。