●オリジナルとそれに似ていること。似ていると言うのはどういうことなのか。そもそもオリジナルの同一性が確保されていなければ、それに似ることはできない。たとえば、石原裕次郎という名前からどんな像を想像するのか。『狂った果実』の石原裕次郎なのか、それとも『太陽にほえろ』の石原裕次郎なのか。もし、石原裕次郎1と石原裕次郎2とが似ていないという時、石原裕次郎というオリジナルは何によって保障されるのか。
というかむしろ、オリジナルは常に変化しつづけ、同一性が保てないからこそ、類似した像としてのコピーが保存され、コピーの同一性によって、そこから遡行されたオリジナルに同一性がうまれるのか。コピーの側から透かし見られることでオリジナルはオリジナルとなる資格を得る。だとすれば、オリジナルはコピーに対して、常に崩壊し続けていることにもなる。コピーの類似性のなかには、オリジナルの崩壊の(あるいは死の)感触が含まれている。
しかし、オリジナルが崩壊しつづけるというのは、あくまで、コピーの同一性に対して崩壊し続けるということにすぎない。それは外からの視点だ。オリジナルの側からみて、オリジナルが常にコピーに対して逸脱しつづけるのだと言えるとしたら、オリジナルにはコピー(イメージ)には把捉されないということでもある。オリジナルが動きつづける運動の過程としてあるのだとすれば、その時イメージは、一時的な仮の休止点として、あるいは、運動を可能にするための手掛かりや目印としてあればよいということになる。イメージは定着のためにあるのではなく、運動のためにある。
イメージによって運動が捉えられるのではなく、運動がイメージのなかを通り抜ける。
●お知らせ。以下は、五月五日に、紀伊國屋サザンシアターで行われる大江健三郎シンポジウム「日中韓 大江小説読みくらべ」のプログラムです。ぼくが喋るのは二十分ほどですが、シンポジウムは十三時から十九時までがっつりあります。
1.開会あいさつ      小森陽一       13:00〜
2.基調講演(45分)    大江 健三郎 13:05〜
3.講演(20分x12人)             13:50〜
陳 衆議   流れに逆らって舟を漕ぐ――——大江の文学思想をめぐる浅見
安藤 礼二  循環する時間と直進する時間――大江健三郎折口信夫
(休憩 15分)
小森 陽一  虚構と現実の境界としての言葉 14:45〜
呉 暁都   生活・想像力・リアリズム――大江健三郎の文学思想をめぐる概評
朴 裕河  『水死』――もうひとつの『死者の書
許 金龍  「王殺し」:絶対天皇制社会の倫理との対決――大江健三郎が『水死』において追求した時代精神の分析
古谷 利裕  夢のなかの夢――作品のフレームと二人組
(休憩 15分)
尾崎 真理子 古義人を襲う暴力とメディア 16:40〜
李 永平   歴史の憂慮と啓蒙の冒険
沼野 充義  木と波――大江健三郎の小説を世界文学の現象として読む
陸 建徳   詩人と社会――大江健三郎ウィリアム・ブレイクをめぐって
朝吹 真理子 未来を愛する意志
4.講演内容への応答(20分)           18:20〜
大江 健三郎