●近所に二軒、レンタルDVDの店がある。ツタヤと非ツタヤだ。ツタヤの方がずっと面積も広いし、品揃えも多い。しかも、非ツタヤもまたツタヤ同様、最近コミックのレンタルをはじめたので、DVDの置き場がさらに圧迫されている。しかし、この非ツタヤの決して豊かではない品揃えのなかに、時々、あっと思う意外なものが少数だが混ざっていることがあって、これを発見すると、ちょっと楽しい。
例えば、誰も見向きもしないような隅っこに押しやられている洋画の「クラシック」のコーナーに、『修道女』(ジャック・リヴェット)があったり、『死刑執行人もまた死す』『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング)があったりする(リヴェットがクラシックなのか、という疑問はあるけど)。かと思えば、「新作」のところに『ドグラ・マグラ』(松本俊夫)があったり、『わが友イワン・ラブシン』(アレクセイ・ゲルマン)があったりする。
邦画のコーナーにも、『十九歳の地図』(柳町光男)や『遠雷』(根岸吉太郎)があったりして、こんな、主な客層はマイルドヤンキー、みたいな郊外の土地にあるレンタル店で、これを借りる人がいるのかなあと思ってしまう。
でも、ここまでは、スタッフのなかに映画好きの人がきっといるのだろうと思えば納得できるのだけど、今日、なんとなく棚を見ていて、『金閣寺』(高林陽一)を見つけて、おおーっ声を出しそうになってしまった。こんなところで高林陽一の映画に出会うことがあるとは予想もしていなかったので、(実はそんなに観たいとまでは思わなかったのだけど)思わず、たくさんのアニメDVDと一緒に借りてしまったのだった。
●それで、帰って検索していたらこんな記事をみつけた。「高林陽一君と青春の個人映画――大林宣彦監督インタビュー text 金子遊」
http://webneo.org/archives/5320
高林陽一の晩年のデジタル映画というのは、ちょっと観て観たい。
《ゼンマイを撒きながら、ワンロール1分半の8ミリ映画を作っていた僕たちからすれば、1時間のテイクが撮れるのは大変なことなんです。それで彼の映画の撮り方が変わりましたね。現場へ行って、歩きながら目に入ったものを撮る人だったのが、前日に俳優を集めてリハーサルをし、翌日現場で「劇」を撮るスタイルになった。1時間半の映画を4カットか5カットで撮るみたいな、デジタルを使うことで映画のつくり方を変えちゃった。これは高林陽一らしい8ミリ作家故の発見、発明だなと思いました。》
《それからの高林君は、弟子でカメラマンのとしおかたかおさん、京都で小劇団をやっている遠藤久仁子さんらとチームを組み、1年に1本ぐらいのペースでデジタル映画を作るという多産ぶり。『ベンチのある風景』(06)、『涯への旅』(07)といった作品ですね。実はこれらが、彼が最も作りたかった映画なんでしょうね。高林君が晩年に博子さんを亡くした後、彼と映画との距離がうまく働いたのでしょうか、静謐な短編小説のような映画を1年に1作ずつ撮り続けていった。まさに彼がやりたかった4、5ページの散文詩のような作品です。彼にとっては至福の晩年だったでしょうし、そこで高林映画が完成されたとも言えます。》
●『涯てへの旅』の予告編。
https://www.youtube.com/watch?v=xuH2cW53pdM
大林宣彦の『CONFESSION 遥かなるあこがれギロチン恋の旅』の全編がYouTubeで観られた。
https://www.youtube.com/watch?v=GOv10yOLm84
中学や高校の頃、ぼくはこの映画や『EMOTION 伝説の午後・いつか見たドラキュラ』が観たくて観たくて仕方がなかったのだけど、田舎の中学生に自主制作の映画を観るチャンスなどまずなかった。高校生になってからは、当時は四谷あったイメージフォーラムに何度か通ったりはしたけど、観られなかった。