●「現代思想」の清水高志さんのテキストで興味をもったので、岩波文庫の『純粋経験の哲学』(W.ジェイムズ)を買ってきてパラパラ読んでいたのだけど、これがすごく面白い。以下の引用は第一章の締めの部分だが、「えーっ、いきなりそうくるのか!」という感じ。
《わたしの内なる思考の流れ(わたしはそれを現象としては最大限に認める)とは、よく吟味してみれば、主にわたしの呼吸の流れから成ることが判明するものにたいしてつけられた、不注意な名前なのである。カントは、わたしのすべての対象には「わたしは思考する」が伴いうるのでなければならない、といったが、この「わたしは思考する」とは、まさしくすべての対象に実際に伴っている「わたしは呼吸する」のことである。》
《(…)これまでつねに「精神」(spirit)の語源であったところの気息、すなわち声門と鼻を通って外へと出ていく気息こそが、わたしの確信するところでは、哲学者たちによって意識として認識される存在者を構成するものとして措定されてきた、あの本質の正体なのである。そうした存在者は虚構であり、具体的な思考だけが完全な実在である。そして、具体的な思考とは、物と同じ素材でできているのである。》(第一章「意識」は存在するのか)
●ひかりと矩形(6)。