●三月も半ばなのにまだこんなに寒いのか、ではなく、体感的には、三月の半ばになってこの冬一番の寒さがやって来た、というレベルの寒さ。
●いくつか展示を観て、その後、アートトレイスで松浦寿夫連続レクチャーへ。
横浜美術館の百瀬文展「サンプルボイス」の「The Recording」という作品がとても面白かった。やっていることがすごく新鮮というわけではないけど完成度がすごく高い(目新しくはないけど、かなり考え込まれているし、作り込まれている)。この作品を観ていると、そこに映っている「声優の小泉豊さん」が本当に小泉豊さんなのか疑わしくなってきて、帰ってすぐ検索して顔写真を確かめた(どうも本人のようだった)。声だけ小泉豊で映っているのは全然別人というのもアリではないかと思った(「似ているけど別人」かもしれない)。それで、この作品に映っている「小泉さんにインタビューしているという体で喋っている百瀬さんと呼ばれる女性」は普通に考えれば作家本人なのだろうけど、これも全然別人である可能性もあって、これは「可能性もあって」のままにしていた方が面白いと思って、百瀬さんの顔写真は検索しないことにした。
(この作品をつくった主体-作家であると思われる位置にあるイメージが、実は別人、とかだったらとても面白いのだが。あるいは、イメージは本人だけど「声」が別人、とかもアリか。)
もし、「百瀬さんと呼ばれる女性」が作家本人だとしたら、この人は俳優としてもすぐれていると思った。怪しげな視線の漂わせ方とか、ゴダールの映画に出てくる人みたいな無表情とか、こういうことを自分を被写体にして演出が出来るというのはすごい。一つ一つの仕草が、「自然である」ようにも「綿密に作り込まれている」ようにも見えるのは、この作品に張り巡らされた多重的なフレーの効果なのだろう(仕草のいちいちが「さりげなく怪しい」のが面白い)。この作品のニュアンスは、現代美術をよく観ているという人より、演劇や映画をよく観ている人の方がより豊かに「読み込める」のではないかと思う。「脚本」もとても優れていると思う。
(モンテ・ヘルマンの『果てなき路』とか、ゴダールの『パッション』、あるいは『右側に気をつけろ』のリタ・ミツコのパートとかを想起したりもするのだが、それらの映画がやっているようなことを、コンパクトに、シンプルに、高い完成度で、さらっとやってのけている感じが面白い。現代アニメとゴダールがシームレスに繋がっている感じも面白い。)