⚫︎イトウモさんが『セザンヌの犬』について書いてくださっています。まだ続くみたいですが、ここまでのところでも、こんなにちゃんと読んでもらえて泣きそうです。本を出せて良かったし、本を出してくれたいぬのせなか座さんにも改めて感謝したいです。
ここで引用されている「「ふたつの入り口」が与えられたとせよ」の一部分、「わたし」が空に落ちていきそうになって、トイレの中の「あなた」に手を掴まれて、部屋に連れ込まれてそのまま姉妹になる、というところ(この展開)は、まさに、これをこのように書いた時に、「なんか自分、今すごいことを書いてしまったのでは ? 」と思って興奮したところでした。
ぼくは小説を、先の見通しのないまま、一文、一文、というか一フレーズ単位で書いている自分でも先が読めてない場合さえある感じで、付け足していくように書くのですが(一作目であるこの作品は特にそうなのですが)、ここを書く前には、まさか自分がそんなことを書くとは予測もしていなくて(「空に落ちていく」というイメージは事前にあったと思いますが)、なんか書いてしまって、え、マジ、こんなのアリなの、すごくない、と、自分でも驚いたところでした。
《その女の子》が「わたし」だ、ということも、この文をそう書くまでは考えていなかったし、「あなた」が男性か女性かも、この部分で《姉妹》と書くまで決めていなかった(なんなら男性のつもりで書いていたかもしれない)。その意味で、作者である自分も、この部分までを読んできた読者以上のことは知らないで書いている。つまり、この部分の構造的な転換は、事前に仕組んだものではなく、ここを書いている(ここまで書いてきた)「この時」の作者の頭の中で起こった。
(この部分を指して、ここが面白いと書いてくれる人が現れるまでに、発表してから13年以上の時間が必要だったというのもまた、なかなか感慨深いです。)
⚫︎宣伝です。『セザンヌの犬』について、山本浩貴さんと山本伊等さんのイベントがあります。