●メモ。「tofubeatsが「他人任せ」から「自分でやる」に変わったこの3年」(CINRA.NET)。
https://www.cinra.net/interview/201810-tofubeats
《僕、電車がもともと好きなので、YouTuberの上げる電車の動画をなんとなく見ていたんです。そうしたら、YouTuberになりたくてYouTuberになった人たちじゃなくて、もともとアマチュア無線や電車みたいな、最近ちょっと下火なハードコアな趣味を、もう1回広めようと動画を上げている人たちを発見して。こいつら最高やなって思ったんですよね。》
《(…)音楽を作っていく上で向き合わなければいけないのは、社会なので。僕は社会に向けて音楽を作っているし、音楽には時代のムードのようなものが残ることが大事だと思うんですよ。今回は、そういう意味で同じムードを共有できる人が、あまり思い浮かばなかったんですよね。》
《(…)自分みたいな立ち位置の人がいなくなってきたっていうのもあります。20代で、地方在住で、ソロでクラブミュージックを作っていて、メジャーレーベルからリリースを続けて、ご飯が食べることができている人って、自分以外にはいないと言っても差支えないと思うんです。そうなったら、ここから先は自分で開拓しなくちゃいけないんですよね。孤独感はなく、楽しい感じなんですけどね。「この先、どうしていこうかなぁ?」っていう。》
《身軽になるために、頑張ってきたからだと思います。大学を卒業して社会人になったときには、この先、どんどん規模が大きくなって、信じるものが増えて、最終的には100人ぐらいでアルバムを作るんだろうな、というイメージで生きていたんです。》
《でも、どうやら実際は逆なんですよね。自分が好きなものや、できることは明確になっていくけど、残り時間は少なくなっていく。その中で「自分は何をするべきなのか?」っていうことが整理されていき、自ずと人と共有できる部分も減っていく。そうやって、いろんなことが一旦整理されきったところに、このアルバムがあるっていうことだと思うんですよ。》
トーフビーツの、地方在住、DTMで完成まで家で一人制作、かつメジャーレーベル所属という立ち位置はとても興味深い。それも、東京(あるいはニューヨークとかロンドンとか)で成功して地方に戻るとかではなく、生まれたときからずっと神戸に住み続けていて---大学も神戸っぽい---そうなっている、というのが(神戸といってぼくがイメージするのは、丹生谷貴志の「造成居住区の午後へ」だったりするのだが)。この「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」的な「道程」感。それを可能にしているのが、現在の技術的環境(パソコンとインターネット)であり、交通インフラ(新幹線)なのだろう。
トーフビーツYouTubeでやっている企画に「HARD-OFF BEATS」というのがある。地方のハードオフへ行って、その店舗で一定金額以内で中古レコードを買い、そこで買ったレコードの音源だけを使って、一時間以内に一曲つくるということを、知り合いのトラックメーカーたちと競作みたいにして行う。
その過程が動画で示されているのだけど、それぞれの人がどうやって曲をつくっているのかが見られるというだけでなく、地方まででかけていき、その店舗がどのような場所にどのようにしてあるかというところ、そこでレコードを選ぶという過程が見られるところが面白い。都市部や、特別な歴史や観光資源がある土地、あるいは文化的な特区のような地域以外は、日本中どこへいってもほぼ同じような風景としての「地方」がひろがっている様が捉えられる。
そのような環境に埋もれるようにして、音楽を聴き、また音楽をつくっている人たちがいる。都市部で生活する人には想像が難しいような、そういう環境のなかの人を生かすものとして、DTMがあり、ネットがある(それは、ヒップホップ的な、地元のヤンキーたちのつながりから生まれるものとは、また別の---陰キャから生まれる---ものだ)。そして、トーフビーツという人自身も、自分がそのような環境のなかで生きていて、音楽をやっているという意識があり、リアリティがあることが強く感じられる。
HARD-OFF BEATS 2017春の陣 東京発着編 第1話
https://www.youtube.com/watch?v=51cSy4lWWJw&t=25s
HARD-OFF BEATS 2017春の陣 大阪発着編 第1話
https://www.youtube.com/watch?v=iIJ9lW8s45U&t=13s