2020-06-18

●教えられて『ラディカル・マーケット』(エリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル)という本を読んでいる。市場主義(自由・競争・開放性)を徹底させるためには私有財産という考え方を改める必要があり(財産が常にオークションにかけられているような状態)、それによって結果として(中央集権的ではない、分散的な)共産主義に近い社会が実現される(格差が縮小する方向へ動く)、というようなことが書いてある。たとえば「共同所有自己申告税」という考え方。土地について、その使用者(一時的な占有者)は、自分が使用している土地の値段(価値)を自己申告する。そして、その額で買い取りたいという人が現れた場合は、無条件で土地を明け渡さなくてはならない。その土地を使用しつづけたいのではれば高い値段をつけなければならないが、そうするとその分、高い税金を払いつづける必要がある。そのようにすれば、その時々で、その土地に対してもっとも高い価値を見いだす(その土地を最も高い生産性で使える)者によって、その土地が使用されることになる、と。

●ここでまず面白いのは、財産の価値の「自己申告」こそが、不正や腐敗を防ぐことになる(第三者が査定することでかえって不正や癒着が生まれる)という考え方だ。財産の自己申告の歴史について。

《「リタジー(礼拝式文)」と聞くと、ほとんどの人は宗教的共同体のメンバーが詠唱する言葉のことを思い浮かべる。しかし、もともとは古代アテネで「公共奉仕」を大まかに意味する言葉として使われていたもので、およそ1000人の最富裕層の市民が国家の活動、特に陸軍と海軍の活動費用を負担する責任を指していた。アテネの住人は、どの市民が富裕者だとどうやって判断していたのだろう。デモステネスによると、公共奉仕を課された人が自分よりも富裕だとみなす人を指名して、財産を交換するように申し立てられる「アンチドシス」という制度があった。指名された人は、奉仕の負担を受け入れるか、指名した人と全財産を交換するのかどちらかを選択しなければならない。このシステムでは、公共奉仕の負担があるにもかかわらず、自分の財産を正直に申告するインセンティブが全員に働く。最富裕層上位1000人よりも貧しいと嘘の申告をして、公共奉仕を免れようとすれば、自分より貧しい人と財産を交換しなければいけなくなる。》

アンドラ公国には相互火災保険制度「ラ・クラーマ」があり、個人が自分の財産の評価額を自己申告する。家が全焼したら、所有者には自己申告した金額がこの制度に加わっている他のメンバーから支払われ、保険料は自己申告額に応じて決まる。高額な家の所有者は、共同体の誰か他の人が火事の被害にあった場合には、補償金を高い割合で負担することになる。この負担があるので、自宅の評価額を実際よりも高く申告することはなくなる。》

《(…)中国の孫文は自己申告制度の導入を提案した。(…)孫文のシステムだと、個人が自分の土地の価値を自己申告し、その申告額に一定の税率をかけて計算した税額を払うが、国はいつでもその土地を自己申告額で買い取ることができた。(…)残念ながら、過少申告された土地を買い取る意志や能力は政府にはほとんどなく、この仕組みはほぼ失敗に終わった。》

●「共同自己申告税」によって所有権を社会と保有者で共有すること。

《(アーノルド・ハーバーガーからの引用)不動産……の評価額……に……課税するのであれば、本当の経済的価値を推定する評価手順を取り入れることが重要になる……。経済学者としての答えは……単純明快である。所有者一人ひとりが……自分の不動産の価値を……公表するようにさせて、その金額を支払ってもいいという入札者が現れたら、それを売ることを義務づけるのである。このシステムは単純で、自己拘束的であり、腐敗する余地がなく、行政コストがほとんどかからないうえ、すでに市場にいる人たちにも、不動産を経済生産性がいちばん高い用途に使うようにするインセンティブが生まれる。》

《年間の税率が、対象の資産を売り手よりも高く評価している買い手がたとえば一年以内に現れる確率と同じ水準に設定されるとしよう。アナスタシアは住宅を所有していて、それを気に入っている。しかし、アナよりもその住宅を気に入り、アナの評価額か保留価格より高い額を支払ってもいいという人が一定の確率で現れる(この確率のことを「回転率」と呼び、この種の資産が別の人の手に渡る一般的な率を意味するものとする)。税率と回転率がともに30%だとしよう。アナが売却価格を保留価格(つまり、実際の価格)より高くする場合、その高い価格で買い手が現れて利益を得る確率は30%である。したがって、価格を上げたときの利益は0.3ΔPとなる。ΔPは売却価格の増分値である。一方、アナが住宅を保有し続ける限り、アナは30%の税金を支払わなければならず、これをΔPを使って表すと、0.3ΔPを追加的に支払うことになる。このように、留保価格よりも売却価格を高くして得られる利益は、コストによってきれいに相殺される。》

《この税金を、富の「共同所有自己申告税(common ownership self-assessed tax=COST)」と呼ぶことにしよう。富のCOSTは、富(を所有すること)のコストでもある。COSTが適用されると、伝統的な私有財産のあり方が変わる。それが「共同所有」である。私有財産を構成する権利の束の中でも特に重要になる二つの「柱」は、「使用する権利」と「排除する権利」だ。COSTでは、この二つの権利がどちら保有者から社会全般に部分的に移る。》

《最初に使用権について見ていこう。私有財産の一般的なイメージでは、財産を使って得られる利益はすべて所有者のものになる。しかし、COSTの場合は、この使用価値の一部が明らかになり、税金を通じて公共に移転する。税金が高くなればなるほど、移転される使用価値は大きくなる。次に排除権について話を移そう。こちらの方が遙かに重要なポイントになる。私有財産制では、所有者がみずから売るか手放すまで、財産を持ち続ける。それはつまり、他の人はその財産を使わせないようにするということである(わずかな例外を除く)。COSTだと、「所有者」には、財産を自己申告額で買うことを申し入れた人を排除する権利は認められない。逆に、その金額を払えば、誰でも現在の所有者を排除することができる。したがって、申告額が低ければ低いほど、公共が保有する排除権は「所有者」よりも大きくなる。税金が上がると価格は下がるので、COSTを上げると、排除権も公共に徐々に移っていき、申告額を支払える人なら誰でも財産の所有権を主張できる。》

《COSTとは、社会と保有者で所有権を共有することだと概念化できる。保有者は社会から賃借する借り手になる。その財産をより高く評価する使用者が現れると、賃貸借契約は終了し、契約は新しい使用者に自動的に移る。だか、これは中央計画ではない。政府は価格を設定しないし、資源を配分することも、国民に仕事を割り当てることもない。(…)このように、COSTを導入すると、力が徹底的に分散化されると同時に、所有権が部分的に社会に移る。意外かもしれないが、この二つは実はコインの裏表なのである。COSTは中央計画の一形態を生み出すどころか、柔軟性の高い使用市場という新しい種類の市場をつくり出して、恒久的な所有権に基づく古い市場に取って代わるものとなる。》

●(補遺) 『ラディカル・マーケット』は、VECTIONの議論のなかで西川アサキさんから教えてもらった。

https://vection.world/