⚫︎たとえば、「弁護士」という肩書を持つ人が、かなりいい加減なことを言ったとしても、法律の知識のない我々は、そこに何かしらの法的な根拠があるかのような印象を持ってしまう。我々には真偽を確かめる能力がない。これは権威主義だ。
この、いい加減な弁護士のいい加減さを明らかにするには、そこで話題になっている分野で、長年にわたって仕事をし、数々の実績をあげている偉い弁護士が出てきて、にわか弁護士の言葉は間違っていると否定しするしかないだろう。そして、これもまた権威主義だ。
ここではいわば、「浅い権威主義」と「深い権威主義」とがあり、双方が対立している。この場合、自分の力で真偽を判定することができない以上、我々は(比較的にはマシだと思われる)「深い権威主義」を支持しないわけにはいかない。
数々のデマが急速に拡散されるインターネットの世界で活躍する「浅い権威主義(≒教祖的権威主義)」の陣営は、自らを正当化するために、「深い権威主義(≒社会的権威主義)」に対して、既得権者とか、オールドメディアとか、左翼とか、ウォークとか、ディープステイトとかいって攻撃するだろう。だからこそなお一層、我々は「深い権威主義」を、より強く支持せざるを得ないことになってしまう。
状況が、我々が「深い権威主義者」となることを強く要請してしまっている。この状況で、「深い権威主義などが本当に信頼できるものなのか」と疑義を提出することは、情報を混乱させることになり、それ自体が最悪な「浅い権威主義」側の利益になってしまう。だから疑問を発する余裕がない。
だとしても、少なくともぼくには「深い権威主義」に対する根深い不信がある。とりあえず当面は、政治的には「深い権威主義」を支持するかのように振る舞わざるを得ないが、しかし一方で、そこにも多くの嘘が含まれていると思ってもいる(故に政治には没入できない)。
だから、このような状況自体を根本的に別物にするにはどうしたら良いのか、を考える(思い浮かべる)必要(必然)がある。実現可能かどうかはともなく、少なくとも、思弁的・仮想的にだとしても、どのような状態を考えれば、それが可能なのか。そこにVECTIONの動機の一つがある。我々はSFみたいなことしか言っていないが、しかしそれは決して絵空事ではなく、切迫した動機に基づくものだ。