⚫︎ちょっと昨日の補足。『心が叫びたがってるんだ。』でとても重要なのは、自分自身(自分自身の「表現」)を「自分の言葉」でするのではなく「他者の言葉(他者の表現)」の中に発見する、ということだろう。
父からの呪いを受けて言葉を失った(「喋る」ことができない)主人公の成瀬さんは、クラスメイトの坂上くんが何気なく口ずさんだ歌を聴いて「心の中が覗かれた」と感じる。坂上くんからすれば、その日の朝にあった出来事について、ありもののメロディ(「ワンダフルワールド」)に乗せて歌っただけだが。成瀬さんにとって、自分の「心の中」の表現が「外部」から「他人の声(他人の口)」を通して、自分の元に到来したということが大きな出来事であった。
(しかもそのメロディは「閉ざされた心の中」から出たものではなく、世界中に流通する有名曲だ。内と外との反転。)
坂上くんは、成瀬さんに、表現の「方法」と「目的」をもたらすことで成瀬さんを「表現」へと導く役割を持つ。「方法」とは「歌(音楽)」であり、喋ることができない(無理やり喋ると腹痛に襲われる)成瀬さんも「歌う」ことなら可能であることが、坂上くんとの関係の中で発見される。「目的」とは坂上くん自身であり、成瀬さんは「表現の届け先(目的)」となる坂上くんと出会うことで、「心の中」の物語を言葉(書き言葉)として外に出すことができるようになる。
(それ以前の成瀬さんは「心の中」を喋ることができないだけでなく「書く」こともできなかった。彼女が熱心に書きつけているノートに書かれているのは、料理のレシピや宿題の提出期限についてだ。)
坂上くんも成瀬さんと同様に「自分が原因で両親が離婚した(家庭が崩壊した)」という「呪い」を負わされている。坂上くんは、音楽好きだった父から、レコードコレクション(音楽のアーカイブ)とピアノの技能を受け継いでいるが、しかしその「ピアノ」が原因で両親が仲違いし、離婚したと思い込まされているので「ピアノ」が呪いとして封印されている。坂上くんが再びピアノに向かうことができたのは「成瀬さんからの要請」によってであり、つまり、坂上くんは「成瀬さんの呪いの解除に協力する」という過程の中で「自分の呪い」も解除される。
(また、成瀬さんは、クラスメイトたちの協力のおかげで「自分の心の中」の物語の上演・表現が可能になるのだが、同時に、成瀬さんという人物の存在、彼女の「思い」によって、クラスメイトたちの関係が再編成されるという相互作用が起こっている。)
成瀬さんは、坂上くんという表現の届け先を得ることで、心の中の物語を「書く」ことができるようになる。そして成瀬さんは、その「心の言葉」を(自分の「声」によって表現できるように)曲にしてほしいと坂上くんに依頼する。しかし坂上くんは、自分にはゼロから作曲することはできないからと、すでに存在する「ありもの」の曲を流用することを提案する。そこで彼の音楽の知識(父のアーカイブ)とピアノの技能(父に与えられたもの)が効いてくる。
ここでもまた成瀬さんは、心の外にあるもの(すでにあるもの・過去の他者による表現)の中に自分自身を発見するという経験をする。ただし成瀬さんにとってこの経験は、常に「坂上くんという媒介(それは、坂上くんが「父から受けたもの」でもある)」を通して現れる。過去の他者の表現の中に自分自身を発見する(「わたしの心」は、「すでに」「外に」あることを発見する)。そして、その発見にはそれを先導する媒介者が存在する。これは、文化的・芸術的なものの持つ非常に重要な特徴と重なっている。この点が、この作品のとても面白いところの一つだ。
(成瀬さんの「心の声」は、「悲壮」「オーバー・ザ・レインボウ」「グリーンスリーブス」などにょって表現されることになる。)
もう一つ重要なのは、この成瀬・坂上関係によって顕在化することのできた「成瀬さんの物語」が、(「地域ふれあい交流会」の出し物として)クラス全体が参加する「上演」というフェーズに移行することだ。この上演の発火点・動機は成瀬さんにあり、彼女は作家であり主役であるが、上演において、作家・主役は中心ではあっても「その一部」に過ぎない(中心でさえ「代役」が可能なのだ)。上演というフェーズに移行したことで、「この物語」は成瀬さん自身からも、成瀬さんと坂上くんとの関係からも、自律して存在するものになる。最初は成瀬さんに引っ張られて立ち上がった上演も、クラスメイトたち個々人それぞれのモチベーションによって成立するものになる(それにより、クラスメイトたちの関係の再編が行われる)。
物語=上演が、成瀬さんから発したものであっても、成瀬さんから切り離されて自律したものになる。だからこそ、成瀬さんがそれを放棄しても崩壊せずに「代役たち」によって持続的に存在し、そこからいったん離脱した成瀬さんが、再び合流することも可能になる。このこともものすごく重要だ。