2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

●二月中にやらなければならなかったことをやり残したままで二月が終わっていく。二月中に書くと言っていた原稿がどんどん長くなっていく。 ●長すぎて編集者が途方に暮れるかもと思って、展開がだいたい分かるように、頭のところに目次をつけてみた。 ●「幽体…

●「ことばの錯覚」(小鷹研理)の下のリンクに記事を読んで、『三月の5日間 リクリエーション』にかんしてまったくノーチェックだったことを後悔した。 http://kenrikodaka.hatenablog.com/entry/2018/02/19/081714 チェルフィッチュにかんしては、『スーパー…

●水戸芸の谷口さんの作品、なんかすごくよさそう。ちょっとホックニーを連想させるけど。 「ことばの錯覚」(小鷹研理)『address』(谷口暁彦、2018、展示「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」より) http://kenrikodaka.hatenablog.com/entr…

●『なぜ世界は存在しないのか』(マルクス・ガブリエル)を読んだ。今、くわしい感想を書いている余裕がないが、前半は、分析哲学っぽい文体とロジックの組み方だと感じながら読んでいたが、後半になると、バリバリにドイツ観念論っぽくなっていた。メイヤスー…

●『霊的ボリシェヴィキ』がすごかったので、過去の高橋洋作品をまとめて観直したい、とか、大杉漣が亡くなったので、90年代の大杉漣出演作品を出来るだけ探して観たい、という気持ちが強くあるのだが、そのようなことをしている余裕がない。 ●ぼくは、『アキ…

●昨日は、ユーロスペースのレイトショーの前に、東京都写真美術館で恵比寿映像祭「インビジブル」を観ていたのだけど、二時間くらいしか時間がなくて、ほんとにごく一部の作品だけ観て他は素通りみたいな感じになってしまった。 最初にラファエル・ローゼン…

●渋谷のユーロスペースで『霊的ボリシェヴィキ』(高橋洋)を観た。いや、すごかった。ラストは「唖然とした」としか言えない。かなり混んでいて客席の八割以上は埋まっていたと思うけど、映画が終わった後にはシーンと静まり返っていて、誰の喋り声も聞こえな…

●大杉漣が亡くなったのか……。 ぼくの印象では、諏訪太朗と並んで、90年代のVシネマに出まくっていた人というのが、まず、ある。90年代に、ぼくが観たいと思うVシネマをレンタル店から借りてくると、大抵この二人のどちらか(あるいは二人とも)が出ていたとい…

●エドゥアルド・ヴィウェイロス・デ・カストロ「強度的出自と悪魔的縁組」(「現代思想」2011年11月号)、「内在と恐怖」(「現代思想」2013年1月号)を読み返していた。出自を食い破る非進化論的な生成としての縁組。捕食・被捕食における「眼」の取り合いと恐…

●うーん、下のリンクのテキストに出て来るハーマンの読みはちょっと違うと思うんだけど…。ぼくはニコラ・ブリオーには興味がないので、このテキスト全体の論旨について言う事はなにもないのだけど、ハーマンについて書かれた部分が、ぼくが読んでいる(解釈し…

●夢のなかで余命いくばくもないと診断をされ、自分に残された時間が少ししかないのに、毎日学校に通っているなどまったく無意味で無駄な時間だと思い、まず、すぐさま高校を辞めようと思うのだけど、考えてみれば、というか、考えてみるまでもなく、高校など…

●グレアム・ハーマン「オブジェクトへの道」(「現代思想」2018年1月号)は、『四方対象』や「代替因果について」で書かれていることの要約みたいな内容なのだなあと思って読んでいると、最後のところに、いわゆる「虚構的なもの」の存在について、とてもおも…

●幽体離脱の「実例」について知りたくて、図書館でその手の本を何冊か借りてきて、今、『臨死体験』(立花隆)をパラパラと見ているのだけど、そこに、ロバート・A・モンローという人の話が出てくる。 この人は、四二歳の時に突然、体外離脱の経験をした。そし…

●お知らせ。2月16日づけ、東京新聞の夕刊に、東京国立近代美術館の「熊谷守一 生きるよろこび」展についての美術評が掲載される予定です。クマガイの小さなサイズの作品ではスケール感の底が抜けているということについて書きました。 ●「レトロ未来」を再読…

●2018年2月14日という、今日。

●2018年2月13日という、今日。

●『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明)をDVDで観た。パクチーが苦手な人がパクチーを食べられない、というのと似たような意味で、ぼくは湯浅政明の作品が苦手だ(パクチーは苦手じゃないけど)。キャラの造形や動かし方から、色彩の感覚、演出上の誇張やデフォル…

●飲み会に参加しているのだけど、どうしようもなく眠くて耐えられず、居酒屋の座敷の隅に丸まって、ざわざわしている参加者の話を夢うつつで聞いているような感じでうとうとしている。参加者のうちの一人が、その飲み会にとても参加したがっていたのだけど用…

●横須賀美術館で、青山義雄の回顧展がはじまるのか。横浜から京急線で浦賀、そしてバス、というのはかなり遠い感じだけど。今、関東地方では、熊谷守一と青山義雄の両者の絵が、どちらもまとまって観られるというのは、すごいことだ。 https://bijutsutecho.…

●さまざまなメディアやジャンルにおいて「〜にしか出来ないことは何か」みたいな問題設定をときどきみられるけど、そのような問題の立て方は、間違いではないとしても、あまり面白くない(あるいは、それだけでは足りない)と思う。 もちろん、各々のメディウ…

●昨日は渋谷のユーロスペースで『わたしたちの家』(清原惟)も観た。 ふつうにシネフィル的映画ともいえて(リヴェットを「そのまんま」使いすぎと思う場面もいくつかあった)、新鮮な驚きというか「新しい人が出てきた」感はあまりなかったのだけど、非常に上…

●久々に都心に出て、いろいろ観た。 ●国立近代美術館の熊谷守一展の充実には圧倒された。とにかく作品がたくさんあって、今まで(図版などでも)観たことがないものもかなりあった。初期から中期の作品からは、クマガイの試行錯誤の感じがかなり強く伝わってき…

●おお、ドノソの『夜のみだらな鳥』が水声社の「フィクションのエル・ドラード」シリーズから出るのか。新訳ではないのだろうけど。 http://www.suiseisha.net/blog/?p=8211 ぼくの持っている「集英社・世界の文学」版は、高校生くらいの時に古本屋で500円く…

●昨日、「Quantum-Like Bayesian Networks for Modeling Decision Making.」という論文について、早稲田の学生の安部くんからレクチャーを受けた。 https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00011/full 残念ながら、ぼくにはこの論文で結果…

●一月に撮った写真、その二。

●一月に撮った写真。その一。

●トルストイ「イワン・イリイチの死」と、カフカ「変身」を読み返していた。この二つの小説は、皆は生き、「このわたし」(だけ)が死んでいく---それを受け入れる---感触(逆に言えば、「このわたし」だけが消えて、それとはまったく無関係に皆は生きていると…

●編集者と打ち合わせ。「幽体離脱の芸術論」の、最初のラフスケッチのような文章をある媒体で発表させてもらえることになった。これは、とてもありがたいことではあるけど、まだ、雲のように広がっている構想の段階でもあるので、これをある程度まとまった塊…