幾原邦彦の「ウテナ」劇場版以来12年ぶりとなる新作の放送がはじまったという話をどこかでちらっと目にして、おおーっと思うものの、どうせぼくはDVDになるまで観られないから、観られるのはやくて半年先だなあと思いつつ、情報を求めて検索していたら、おそらく違法だと思うけど、たまたまその『輪るピングドラム』の第一話がまるまるネットで観られて、それがまた、『フリクリ』や『トップをねらえ2』以来くらいの「アニメを観た」感を満足させてくれるもので、そうそう、ぼくがアニメに求めているのはこういうことなんだ、というようなもので、たいへんに興奮した。それはつまり、様々なことなるあり様、相容れないと思わる位相のイメージが、コラージュ的に強引に繋ぎ合わされていて、それがものすごい手数と密度で圧縮されている、ということ。それはほとんど出鱈目になる寸前くらいの寄せ集めぶりで、しかしその一歩手前で踏み止まっていて、不思議な、アニメでしかあり得ない圧縮された情報の総合体になっていた。リアリズムとアニメ的様式性、三次元性と二次元性、お約束の踏襲と唐突な意外性、手数やカット数の多さによる圧縮的なスピード感とそれに反する物語の展開のゆっくりさ、詳細な描きこみと極端な単純化等々、が分離しつつも混じり合い、そこに、いかにもこれみよがしな「謎めいた細部(記号)」が散乱する。しょせん「絵」でしかないアニメは、だからこそこのようなハイブリッドな表現が可能なのだ。例えば「スタードライバー」(十七話まで観た)は物語としては面白いのだけど、このようなアニメ独自の表現としてのハイブリッド感が足りない気がする。それにしても、一見水と油のようにかみ合わないと思われる要素を強引に混ぜ合わせて、そこに、確かに悪趣味ではあるけど、たんに悪趣味であることの押し出しの強さとは異なる、独自の感触を生み出すという、「ウテナ」同様の幾原邦彦の手つきは、依然として健在だというだけでなく、より一層ブラッシュアップされている感じで(「ウテナ」の頃の悪趣味押しとはちょっと違って、スタイリッシュな悪趣味という不思議な感じになっている、絵柄はなくとなく穏やかで丸い感じだけど、物語的には近親者の三角関係的なかなりエグイ感じでかみ合わないとか…)、物語が今後どう展開してゆくのかはまったく分からないけど、とても期待がもてる感じの第一話だった。
とはいえ、うちには録画装置がないし、深夜は寝てしまっているから、つづきはなかなか見られないと思うけど。
一方、「まどか☆マギカ」は、DVDで六話まで観て、決してつまらなくはないけど、未だいまひとつ乗れない感じで、なんか、うーん、としか言えない感じ。
●夏の、夕方の、光。午後七時前後。