●「現代思想」のグレアム・ハーマン「代替因果について」。ざっと一回読んだだけの段階だけど、まるでホラー映画のように面白かった。もう少し丁寧に言えば、高橋洋の『恐怖』や『血を吸う宇宙』のように面白い。具体的にどこが似ているのかと言われると困るのだけど、リアリティの感触が近いと思った。例えば以下に引用する文章は、『恐怖』や『血を吸う宇宙』の世界をとてもよく説明するように思われる。
≪つまるところ、二つの存在者がおたがいに影響しあうのは、ただ第三の存在者の内部で出会うことによってでしかない。第三の存在者のなかで最初の二つの存在者は並列して現実存在し、相互作用を可能にするなにかが起こることになるのだ。≫
≪事物の実在を歪めるのは、人間の意識ではなく、関係それ自体なのである。≫
≪この宇宙で相互作用が生じる唯一の場所とは、感覚的にして現象的な領域なのだ。表層を形式的ないし不毛なものと見なしてしまい、因果の力をただ謎に包まれた深淵によって保証するばかりの哲学に対抗して、わたしたちはそれと反対の見解を擁護しよう。すなわち、独立し自立した形式は深淵にのみあり、劇的な力と相互作用は表層を漂っているのだ。あらゆる関係は表層的である。この理由のためにわたしたちは、実在的対象がいかにして現象の領域――あるものが別のものと関係する唯一の場所――に挿入されるのかを発見せねばなるまい。感覚のなかへの実在的対象のさまざまな侵入は横並びになっており、無媒介的な相互作用には緩衝が差し挟まれている。それらが接触しあうのを可能にするには、感覚的な次元でなにかが起こらねばならない。≫
≪感覚的対象とその性質の分離は、「魅力」と呼ぶことができる。魅力という用語は、正確には、魅惑する感情的効果を指し示しており、人間にとってはしばしば性質の分離という出来事が伴っている。また魅力という用語は、関連した用語として「暗示」を示唆している。というのも、魅力はたんに対象を暗示する――その内的な生を直接に現前させることなしに――のだから。≫
≪実在的対象の場合には、実在的対象に接触することなしに触れる方法はただ一つ、魅力を通してである。魅力においてのみわたしたちは、感覚的対象の香りのなかで堂々巡りしてしまう行き詰まりから、逃れられる。そして、肉体的に現前するというよりも、離れたまま合図を投げかけるような、そうした事物に属している性質に出会うのだ。≫
≪(…)魅力は全体としての存在論に属しているのであって、動物の知覚の特殊形而上学に属しているのではない。精神なき土地も含めて、すべての実在的対象間の関係が生じるのは、ただある種の暗示によってのみである。≫