●下のリンクの記事に出ている「中部大学の津田一郎教授」は『心はすべて数学である』という本を書いている人だ。「中部大学教授による31年前の数理モデルをブラジルの数学者らが証明」(大学ジャーナル)
http://univ-journal.jp/20187/?show_more=1
《脳は目、耳、鼻、舌、皮膚から受ける刺激を情報として記憶する際、過去の記憶を参考にして新たな入力情報が何であるかを連想する。》
《31年前、津田教授は大脳新皮質内のニューロン(神経細胞)のネットワーク構造を模擬した神経回路モデルで連想記憶の研究に着手。神経回路には記憶に達する途中の状態(疑似アトラクター)が一時的に留まり、複数のニューロン間をカオス(無秩序)的な状態で行き来しながら最終的に秩序のある記憶になる数理モデルを提案し、数値シミュレーションを実施。しかし、無限小数の有限化や四捨五入などの誤差により立証はできなかった。今回、誤差内に真の解があることを保証する数学的手法で数理モデルが正しいことが証明された。》
《津田教授は京都大学の博士課程学生時に、連想記憶の数理モデルに結び付く数理モデルを提示。これは、カオス的な状態にノイズを加えると秩序を持った状態に変化するというもので、2017年にイタリア・ピサ大学の数学者らによって数学で証明された。》
《数学で証明された2つのモデルが今後の脳科学研究やAI(人工知能)研究に役立つと期待される。》
●『心はすべて数学である』(津田一郎)から、「カオスと記憶」についての部分のメモ。おそらく、リンクした記事と直接関係しているところ。
《カオスはまさに、ほんの少しのずれがどんどん拡大されていって、将来の振る舞いが正確に予測できないという性質を持っています。》
《カオスは第二章で述べたように、数学的には超越的な性質を持っています。つまり、カオスの中には可算無限個(数え上げられる無限個)の周期軌道と非可算無限個(数え上げることができない無限個)の非周期構造が存在し、また自分自身に繰り返し任意に近づくような稠密軌道が存在しています。これらは有限の計算や観測では、その真の姿を捉えることができないような複雑なものです。》
《カオスの超越性は有限の計算を受けつけないゆえに、無限との格闘を人々に強いているように見えます。実際、ほとんどのカオスは計算した軌道の集合では追跡できない、という性質まで持っているのです。つまり、カオスは計算不可能であり、その意味において「不可能問題」を内包しています。》
《カオスを厳密に計算できなくてとも、カオスが何かを計算しているかもしれない、カオスが脳の現象を表現しているかもしれない---それが、私たちが提出したモデルです。》
《また、カオスには、“情報の編集機能”があることもあきらかになりました。カオスは情報を加工したり保持したり、さらには新たに生成したりすることができるのです。(…)そして、実際に脳のなかにはカオスが発見されています。》
《カオス遍歴とはアトラクター間のカオス的遷移のことです。》
《運動や意味が何かに収束するときに現れる軌道の集合、ある現象がやがて収束していく最終的な落ち着き先のようなものを、すぐ前に書いたように“アトラクター”と呼びますが、このアトラクターのようなものが情報処理の鍵を握っているのではないか。旅人が宿から宿へと渡り歩くように、軌道がアトラクターからアトラクターの間をカオス的に遷移していく形で、情報が機能編集されているのではないか、と考えたのです。》
《つまり、宿は最終的な落ち着き先としてのアトラクターではなく、そこから旅人が出て行く不安定なルートを内包しています。さらに、旅人が一時滞在することで、宿は宿としての意味をもちます。》
《匂いの情報はひとたび学習されると、脳の中の嗅球という場所におけるニューラルネットワークの活動が、アトラクターになることで表現されます。すでに学習された古い匂いは、すでに情報が処理されて収束した“アトラクター”の形で、脳に履歴として残っている。そこにまだ嗅いだことのない新しい匂いの情報が入ってくると、これと似た匂いは脳の記憶にはないだろうかと、古い記憶のアトラクターの間を遷移していくことで、つまり「カオス遍歴」することで、記憶のサーチが起こるのです。「この匂いはあの匂いではないか? いやちがう。今まで嗅いだどの匂いとも違う」というように。「今まで知っているどれでもない」ことを、「今まで知っているもの」にアクセスしながら、思い出すプロセスの中で知る。この「思い出す」というのが記憶ではないか。思い出すことによって記憶は構築されるのではないかと思われるのです。》
《こうして、過去を思い出しながら、すでに学習されたどの匂いとも異なるという認識を得ると、その後に新しいアトラクターとして表現されることになります。》
《比喩的に言えば、1+1が2ではなく、3でも4でもあることが許されてしまうような世界が“カオス”の世界ですが、カオスそのものは複雑すぎて計算できないとしても、カオスが複雑な計算をしてくれるかもしれない。》
《自然や人間社会を含めた環境は完全に予測可能でもないし、かといって完全にランダムでもない。決定論的でも確率論的でもない。必然でもなければ偶然でもない。環境は途方もなく複雑なわけで、そうした偶有性(コンティンジェンシー)と呼ばれる出来事が起こる複雑な環境と向き合うために、脳は記憶という装置を持つようになったのでしょう。脳はカオスを発生させることで、記憶だけでなく、様々な知覚や幻覚までも生成するようになってきたと考えられる。つまり、脳はカオスやカオス遍歴を生み出すことで、何らかの心の状態を計算していると考えられるのです。》