2022/12/22

●『にわのすなば GARDEN SANDBOX』をスクリーンで観て、改めて思うことがいくつかあり、それについてはトークで話したが、言いそびれたことを一つ。ヨシノさんにかんして、ああ、この人は危ういな、と強く感じた。

主役のサカグチにはある種の強さが感じられ、それは、いつ、どこにしても、サカグチはサカグチとしてあり続けられるだろうという感じだ。対して、ヨシノさんがヨシノさんとしてあるためには、常に気を張っている必要がある、という感じ。

これが最も強く感じられるのが、ヨシノさんのタノさんに対する態度だ。一見、サカグチが、タノさんに色々つけ込まれて、優柔不断で断りきれないのに対し、ヨシノさんはキッパリとタノさんを拒否できているように見える。しかしそれは、ヨシノさんが、タノさんのような人に対処する柔らかさを持っていないということでもある。タノさんから詰められるサカグチだが、のらりくらりとかわして、結局タノさんの提案を受け入れないでいることができる。だがヨシノさんは、タノさんが近づいてきただけで、態度が、というか、雰囲気が、キュッと硬直する。軽く受け流すことができないので、自分を守るために固く閉じる感じ。

一見、凛としているように見えるが、それは自分が自分であるために常に気を張っていることによる「固さ」の表れでもあるように見える。そしてこの固さは、崩れやすさや脆さでもあるように感じらる。

頼りなく、フワッとしているが、柔軟な強さを感じさせるサカグチと、キリッとして見えるが、それが危うい固さの裏返しであるかのようなヨシノさん。この二人の存在のありようの違いとその対比、そして、そのような異質な二人が仲良くなっていくこと(この映画はある意味で、二人の若い女性がわちゃわちゃしているところを見る映画でもある)、が、この映画の多くの部分を占めているというか、それが、この映画から感じられる「調子」のようなものに強く作用しているように思われた。

フワッとしたサカグチ、ふにゃふにゃしたキタガワ、割れ物注意的な危うさを感じさせるヨシノさん。三人とも共通して、地に足が着いていないような人物だが、その「地に足が着いていなさ」のありようは、それぞれ異なる。そしてこの「異なり」が、登場人物の描き分けとして明確に設定されているということでもなく、かといって、俳優本人の地がそのまま出ているというわけでもない、その中間のつかみがたいところで、(「撮影する」という行為を通じて)決定されているような感じがして、それが「実写映画」というものの面白さなのかもしれないと思った。