⚫︎『黄龍の村』をU-NEXTで。初めての阪本裕吾監督がこの作品で良かったのか悪かったのか。ホラーかと思って観たのだがぜんぜんホラーじゃなかったし。
この作品を受け入れられるのかそうではないのか、楽しめるのか楽しめないのかで、「作品」というものをどう考えているかということについて、けっこう根本的な違いが問われるというような作品だと思った。で、ぼくはちょっとこれはないかなあと思った。
まず、8人の若者たちのグループが出てくるのだが、そのうち3人が、はじめから明らかに他の人たちとはノリが違う(つまり、この3人は明らかに何らかの伏線として「仕込まれている」ことがはじめからバレバレなのだが)、なぜ、このパリピのグループの中に異質な3人が紛れているのか、どのような理由やきっかけで、この8人が一緒にバーベキューに出かけることになったのか(普通に考えれば、まずそういうことはないだろうと思う)、この点について何の描写も説明も正当化もないことを受け入れられるのか(これは、作劇技術的にもけっこう大きな欠点だと思う)。
二つ目として、パリピの4人(パリピノリの5人のうちの1人は「仕込まれていた人物」なので、結果として4人)は、はじめから殺されることがわかっていて、殺されるためだけに「謎の村」に入っていくということを、他の4人は知っている。というか、彼ら(非パリピの4人)はそのようにあらかじめ「仕込んでいる(計画している)」のだが、そんなことが許されるのか。この点をスルーしてしまっていいのかというところが引っかかる。非パリピの4(+1)人の方には、復讐なり、悪の退治なりという大義名分が(それも十分とは思えないが)一応あるのだが、パリピの4人は、何も知らされず、はじめから本当にただ犠牲になるためだけに存在していることになる。彼らの存在の扱いがあまりに軽い。このことに目をつぶれる(これを許せる)のか。
三つ目として、日本の、閉ざされた因習的な村のありようとして、あまりにリアリティがない。あからさまに「嘘の話」だし「嘘の村」なので、現実らしさという意味でのリアリティが必要だということもないと思うが、それにしてももうちょっと何か「嘘」としてのもっともらしさというか、背景的な厚さを生むつくり込みなどが特にないので、あまりに薄っぺらのぺらぺらに感じられて、そこに萎えてしまった。
大きいところはこの三つくらいだと思うが、これらのことを気にかけることなくスルーすることができれば、意外な展開と充実したアクションに溢れたこの作品は、かなり楽しく観る事ができる面白い作品となるだろう。でもぼくはそれらスルーする事ができずに、最後までずっと違和感が拭えなかった。
(リアリティというのは必ずしも「現実らしさ」のことではないのだが、それでもどこかに、何かしらの形でリアリティがないと、フィクションの説得力が生まれないというように、ぼくには思われる。)
(追記。あと、ラスボスが意外とショボい、ということもあるか。)