⚫︎夢。先鋭的な作風の中国の若手映画監督の映画に参加することになった。とはいえ、台本もなく、なんの指示もない。夜になって、指定された場所に行く。家から歩いて5分程度なのに、近所にこんな場所があるとは知らなかった。ゆるい下り坂と上り坂の間の少しだけ窪んで谷のようになっている場所。道路があり、歩道があり、道路に沿って小川が流れ、ちょっとした植え込みもある。低い土地のせいか道路には雨水が溜まっていてちょっとした池のようで、その黒々とした水に街灯の光が反射してキラキラしている。そのキラキラが塀や建物の壁にも反射する。
繁華街みたいに人が大勢いる。待ち合わせのように立っている人があちこちにいる。何人かで集まって騒いでいる人々、路上飲みをしている若者、路上ライブをしている人とその観客、ライブとは無関係に音を出して踊っているグループもある。大勢の人が思い思いに過ごしているが、そのうちの誰が出演者で誰がスタッフなのかわからないし、少なくともぼくはどのような指示も受けていないままでここにいる。映画の撮影が行われているというような「印」はどこにもない。ただ、人々の中にちらほらと、ぼくでも知っている映画監督や有名な俳優が混じっているので、撮影の現場なのだろうと納得する。顔見知りのアーティストもいるようだ。
ぼくは監督に会ったことこともないし、顔も知らない。この中の誰が監督なのか、監督がどのように指示を出し、この場をどのように制御しているのかわからない。撮影機材のようなものも見当たらない。そもそもこの場に監督がいるのかどうかもわからない。ただ、おそらくこの場のこの感じを、なんらかのやり方(人々の中に混じったスタッフの持ついくつもの小型カメラなどの離散的なやり方で ? )で撮影していることは確かなようだった。とにかくとても心地よい空間で、このような場を作り出し、スタッフもキャストも判然としないまま「この場」を丸ごと撮影するという監督のやり方に感心する。顔見知りの映画監督に話しかけられるが、彼も、中国の若手監督についてはよく知らないまま参加しているようだった。
しばらくすると、何人もの全裸の男女が現れるが、映画の撮影だと思っているので、そのような演出なのだろうと、少しも奇異に感じることなく、彼ら彼女らは、自然にその場に溶け込んでいる。ぼくは、このような場にいること、そしてこのようなやり方で撮影される映画の一部であることを、とても幸福だと感じている。