2026/05/21

⚫︎U-NEXTで配信されている「下山メシ」というドラマを、なんとなく選んで、寝る前に頭の興奮を落ち着ける目的でぼんやり観ていた。一人の女性が、下山後の「ご飯」を目的として一人で登山をするという、まあ、ありがちな「ご飯」系の企画ものの深夜ドラマみたいな感じ。主役の女性は知らない人だが、テレビを全然観ないし、若い俳優や芸能人にかんしては「知らないのが普通」になっているので、特に気にしない。ドラマのラストで、主人公の女性が就寝前の自分の部屋で今日食べたご飯のイラストを描く場面があるのだが、その場面を見ている時、突然「あ、志田未来」と思った。そう思った1秒後くらいにクレジットタイトルが出て「志田未来」とあったので、思い出すというより1秒後の未来を予測をしたみたいな、不思議な感覚になった。

志田未来については、子供の頃の顔をぼんやり知っているくらいで、しかもその「子供の頃の顔」を何で知ったのかも憶えていない。頭の中の、普段はほぼ取り出されることのないくらい隅っこにあるぼんやりした微かなイメージが、不意に、今見ている目の前のイメージと結びつくという、その感じの不思議さ。しかも、ぼくの頭の中に微かに残存していた「子供の志田未来の顔」と「下山メシ」の主役の人の顔が結びついたのは、その一瞬だけで、ドラマの次の回を続けて観ても、そこに出ている女性は、頭の中にある「子供の志田未来」とは全然結びつかない、依然として「知らない人」だ。おそらく、ほんの一瞬垣間見えた表情のようなものに、ほくの頭の中の「イメージの同一性検索」が反応したのだろう。

しかし、イメージの同一性というのは何なんだろうな、と思う。指紋照合みたいな、二つのイメージを重ね合わせてぴったり一致するということとは違う。あの顔とこの顔という明らかに異なった二つのイメージが「同じ人」ということが分かるのは何故 ? 、と考えると、それだけのことが途方もなく感じられる。

(いや、この言い方は正確ではない。そもそも、「子供の志田未来」のイメージを明確に思い浮かべられるわけではない。ドラマで見られた一瞬の表情から、遡行的に、明確に像を結ぶわけではない、ふわっとした「志田未来的な感覚」が浮かび上がった、という方がいいのか。志田未来というタグのついた、ある「感じ」が、目の前のイメージから呼び出されたので、「あ、志田未来」と思った。しかし、その場面以外の別の場面で見られる女性のイメージからは、その感覚は浮かび上がってこない。)

(追記。4話まで観たら、主演の女性がだいぶ志田未来になってきた。)