2026/08/26

⚫︎『屋根裏の巳已己』(寺西涼)をU-NEXTで。二度目。とても面白い。最初に観た時は気づかなかったが(なぜ、気づかなかった ? )、これはモロにデヴィッド・リンチなんだな。

基本的には「お盆に死者が帰ってくる」という、日本的(アジア的)な情緒を持った話だが、それをそのような情緒とは無縁の(ラスベガスの郊外みたいな乾いた砂漠的な感触の)リンチ的肌触りへと丸っと移植することで、あまりみたことのない不思議な世界を出現させていると思う。リンチ的な感覚と、日本の幽霊とはおそらく相容れないと思われるが、それを力技で両立させ見せている。リンチ的肌触りとはいっても、日本の湿気の多い蒸し暑い夏の感じや、山間の緑と住宅が入り混じった郊外の土地の感じとかは的確に生かされている。

⚫︎リンチの場合は、すでに、今ここが異界なのだが、この映画では、異界と現世とを移動するプロセスがかなり長い時間をかけて示される。当初、「みいこ」は幽霊だが主人公は生きていると思って観ているのだが、終盤に、主人公もまた亡くなっていることを仄めかす場面がある。だとすれば、最初にある、主人公が同棲中の彼女(「まい」)と揉めている場面こそが異界であったことになる。いきなり語られる、何語だかわからない謎言語によるナレーションは、そこが異界であることを表現しているということか。主人公は、電車に乗り、フェリーに乗り、そこからまたさらに電車に乗るという、長いプロセスを経て現世(実家)へと戻ってくる。

(「みいこ」の実家であるラーメン屋が、常にガラガラで客がいないのは、そこには死者しかやってこない場だからなのかもしれない。「みいこ」の兄は、もはや死者としかコミュニケーションがとれない人なのかも。だとすれば、主人公以外の唯一の客、炒飯を注文してクレームをつける男もまた死者ということになる。その証拠に、この場面でも謎言語が現れる。)

(主人公は、過去に何か取り返しのつかない決定的な罪を犯していることが仄めかされる。同棲中のなんらかのトラブル、おそらく「みいこ」をめぐるトラブルで「まい」を殺してしまい、そのため主人公は自死したと考えるのが自然なように思えるが、そう言い切れる決定的な証拠はないし、穿ちすぎた見方かもしれない。)

(「まい」は、ベランダで寝ていたのではなく、死んでいたのかも。)

⚫︎この映画は、事故により水死した「みいこ」の霊と、亡くなった「みいこ」のことが忘れられないまま死ぬことになった主人公の霊が、お盆によって帰省した地元で交流するという話だと考えられる。話そのものは情緒的な話だが、その二人の交流がリンチ的肌触りで描かれる。

⚫︎いや、そうではないのかもしれない。主人公は「まい」を放置したまま実家に戻った。その時点で彼は生きていた。「まい」は殺されたというわけではなく、主人公の罪とは、彼女を放置したまま実家に帰ってしまったことを指すのかもしれない。この方が「常識的な解釈」だろう(しかしそれにしては、主人公は「まい」からの連絡がないことを過剰に気にしているように思われるが)。しかし、地元に戻って「みいこ」の幽霊と出会い、交流を続けるうちに、深みにはまり、彼女とともに海にのみ込まれて主人公が亡くなってしまった、ということかもしれない。その後、二人ともが幽霊となってトンネルを越えて戻ってくるが、実家に帰った彼を誰も認識できず、彼の父が彼の死を仄めかす、ということなのかも。つまり…。

⚫︎映画の序盤で、主人公は実家に一泊したのち、元の世界へ帰ろうとフェリー乗り場まで行く。しかしそこで、ボーダーのシャツを着てリュックを背負った、彼が描いた絵と同じ「後ろ姿の女(「みいこ」)」に出会い、彼女の後をつけるように、バスに乗り、電車に乗って、ラーメン屋にまで辿り着く。しかし彼は、本当なら彼女の後をつける必要などない。彼は彼女の実家であるラーメン屋の場所を知っているはずだから。彼はただ(亡くなったはずの)彼女が「実家に戻った」ことを確認したいだけなのだ。観客には主人公が女の後をつけているようにしか見えないが、実は、彼は「みいこ」によって「この世界」に引き戻された、彼女こそが彼をラーメン屋にまで誘い込んだ、と考えることもできる。彼女が実家に戻ったことを確認した主人公は、自分の実家にしばらく滞在することを決める。

次の日、ラーメン屋に行ってみると(亡くなったはずの)「みいこ」はそこにいる。ここでは二人は言葉を交わさない。その次の日、主人公と「みいこ」は、ラーメン屋の横に放置してある彼女の父の遺品だという自動車の中で二人で酒を飲んで旧交を温めるかのように話し込む(ここから「みいこ」は主人公のスマホを借りパクしている)。次の日、二人はバスに乗って(トンネルを越えて)海岸まで出かける。ここで何か一線を超えた感じ。さらに次の日、「みいこ」は母が不在の主人公の実家に一泊する。

ここから先がクライマックスというか、時空の混乱が激しくなっていく。特に「みいこ」が、一方で自分の死のいきさつをしみじみ語り、他方で「まい」の件に関して主人公を「あんた自分がクズだってわかってる ! 」と激しく叱責するという二つの様(二つの表情)が、スイッチがオン/オフするように明滅的に入れ替わる場面が素晴らしい。ここは確かに「ローラ・パーマー最後の七日間」などを思い出しもするリンチ的な場面だが、そのようなレファレンスを超えて、これ自身として素晴らしいと思う。

(この後、主人公が実家に戻るとそれまで不在だった弟がいて、彼が、オイルアンドウォーターという、黒いカードと赤いカードが分離するトランプマジックを主人公に披露する。これを境に、これまで混じり合っていた生者の世界と死者の世界が分離しようとし始めるかのようだ。)

この辺りで、主人公の母は彼の異変に気づき、死んだはずの「みいこ」に会いに行こうとする主人公を引き止めようとする。しかし主人公は振り切って出ていく。この後、主人公は「みいこ」と二人で(おそらく「みいこ」が亡くなった場所である)海の岩場にいる。そしてここで、二人は共に海に呑み込まれてしまうのだ。主人公は、この時点で初めて「死んだ」と考えることもできる(「初めて死ぬ」とは変な言い方だが)。死んでしまった主人公は「みいこ」と連れ立って、長いトンネルを通って(幽霊として ? )「地元」に戻ってくる。そして主人公は、実家に戻ることで自分が「死んだことになっている」ことを知る。

⚫︎この岩場の場面で、「みいこ」は主人公の「罪」について指摘し、「警察」に出頭することを促すニュアンスを出してくる。ここで口にされる「罪」とは、「みいこ」に対する罪なのか、それとも「まい」に対する罪なのかが判然としない。前にあった、「みいこ」が主人公に「あんた自分がクズだってわかってる ! 」と叱責する場面も、「まい」に対する態度への怒りではなく自分に対する行為への怒りだったのかもしれない。どちらにしてもここで主人公は「みいこ」に引っ張られるように海に呑み込まれるのだ。やはり「みいこ」は、主人公を海へと引き摺り込むために、彼に後をつけさせ、彼と交流したのだろう。

(「みいこ」は主人公に「私は毎年帰ってくるけど、あなたはなぜ今年に限って帰ってきたの」という問い詰め方をするので、ここで問題になっている「罪」は、彼が「今年に限って帰ったきた」原因である「まい」とのトラブルを指すと考えた方が良いのかもしれない。)

⚫︎この映画は何よりも「空間」の映画だと思う。東京と地元を結ぶ、電車やフェリーといった移動する箱としての空間。主人公の実家と「みいこ」のラーメン屋をつなぐ郊外の、高台の、山がちな風景。そして、主人公のオシャレ実家と、まさにリンチ的空間を体現しているラーメン屋と、ラーメン屋の横に放置されたままの使われていない自動車という三つのトポス。さらに、異界の異界であるような海岸。それらがそれぞれ面白いし、また、それらの関係も面白い。

主人公は階段を上り下りする。「まい」と住んでいる東京のマンションで、主人公はまず、部屋から階段を下ってゴミ置き場に降り、そこで一晩過ごすと階段を上って部屋まで戻り、部屋へ戻った彼は、メゾネットになっている下の階へとまた階段を降りていくのだ。メゾネットなど珍しくはないとしても、ここで部屋の中でさらに「下へと降りていく」行為は意表をつくもので印象に残る。そして彼は実家でも、一番高い位置にあるロフトで寝起きし、頻繁に階段や梯子を上り下りする。

それに対して「みいこ」の住むラーメン屋(ここは、郊外のラーメン店がこんなにもリンチ的になるのかと驚くほどにリンチ的な空間である)は平坦で、彼女が住んでいるはずの屋根裏部屋への階段は閉ざされている(ドアには「staffonly」ではなく「立ち入り禁止」と書かれている)。映画の途中でカメラが一度この階段を屋根裏部屋まで上っていくのだが、主人公がこの階段を上ることは許されない。

(それに対し「みいこ」は、彼の実家のロフトにまで易々と上ってくるのだ。)

屋根裏部屋に上ることを許されない主人公が「みいこ」と交流するための場所が、亡くなった彼女の父が使っていたが、今は誰も運転するものがないまま放置された自動車の中だ。彼女はしばしば、店のビールや炭酸水を拝借してここで一人で酒盛りをしているようなのだが、主人公が「たまたま」その場に居合わせたことで、二人の逢瀬の場所となる。だがこれは、明らかに「みいこ」が網を張って、彼を罠であるこの場所(車の中)に誘い込んだのだろう。

この、二人の逢瀬のための場としての「自動車」というアイデアは素晴らしく、アイデアだけでなくこの場面の演出も素晴らしいと思った。